■ゼレンスキーへのさげすみ

 ロシア大統領府(クレムリン、Kremlin)が1年前、軍にウクライナ政権の転覆を命じて以来、2人の行動はいずれも予想を裏切るものとなった。

 ゼレンスキーは空爆にさらされている時でも首都キーウにとどまった。それどころか、長期にわたって激戦が繰り広げられている東部バフムート(Bakhmut)をはじめ、前線を何度も訪れている。

 ウクライナの政治専門家、アナトリー・オクティシュク(Anatoliy Oktysiuk)は、ロシアの侵攻前、ゼレンスキーは「平時の大統領」を自認していたと語る。

「プーチンは彼(ゼレンスキー)を道化師かコメディアン、おどけ者のように扱っていた」と、オクティシュクは指摘する。「プーチンが始めた侵攻は、ゼレンスキーに対する過小評価、尊大な態度、さげすみの帰結だ」

 侵攻開始後、ゼレンスキーをめぐる見方は一変した。

 プーチンの政治的な立ち位置も変容した。

 シベリア(Siberia)の大自然の中で自らの写真を撮らせるなど、マッチョなイメージづくりに努めてきたプーチン。しかし、これまでのところ軍事侵攻の目標は達成できておらず、自ら前線へ赴くことも避けている。戦場から遠く離れた安全なクレムリンで、勲章を授けるのがせいぜいだ。

 プーチンは世界の嫌われ者になった。それに対し、ゼレンスキーの元には、欧州の高官が続々と面会にやって来る。プーチンは国際舞台から締め出されたが、ゼレンスキーはワシントンで、ロンドンで、敬意をもって迎えられるのだ。

 2019年のゼレンスキーはもういない。今や、プーチンが権力の座にとどまっている限り、ロシアとは交渉しない構えだ。

 今年になって行われた英メディアのインタビューではこう語っている。「現在の彼(プーチン)は何者なのか。侵攻開始後、私にとっては何者でもなくなった」