【1月30日 AFP】数々の受賞歴を持つ在日コリアンの映画監督ヤン・ヨンヒ(Yang Yonghi)氏(57)が北朝鮮へ渡る長兄を見送ったのは、まだ6歳の時だった。長兄は、北朝鮮の当時の最高指導者、金日成(キム・イルソン、Kim Il Sung)氏の還暦祝いの「贈り物」として選ばれ、北に送られた200人のうちの一人だった。

 北朝鮮の賛歌が流れ、紙吹雪が舞う中、船が新潟港を出る前に兄からメモを手渡された。「ヨンヒ、音楽をいっぱい聴くように。映画も好きなだけ見るように」と書いてあった。1972年のことだ。

 すでにその1年前、両親は2番目と3番目の兄も北朝鮮へ送り出していた。金政権が、すべての人に雇用と無償の教育・医療を提供するという社会主義の「楽園」を約束していたためだ。

 兄たちは北朝鮮へ行ったままとなった。

「あんな無意味な事業を思いつき、自分の子どもを差し出させた体制に、私の両親は人生のすべてをささげたのです」とヤン氏はAFPに語った。

 大阪生まれのヤン氏の作品には、どれも兄たちと引き離された心の痛みが映し出されている。朝鮮半島が日本の植民地支配を脱した頃から、南北に分断されて数十年たった後まで、世代をまたいだ家族の苦悩が記録されている。

 日本と北朝鮮の政府は、1959年から1984年にかけて在日朝鮮人の帰還事業を進めた。この事業を通じて、約9万3000人が北朝鮮へ渡った。

 北朝鮮系の団体、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連、Chongryon)の大阪の幹部だったヤン氏の父親は、1970年代に3人の息子を送った。

 だが、金政権は帰還事業に関する約束をほとんど果たさず、家族は北へ送った身内を呼び戻すこともできなかった。

「子どもを送った両親に選択の余地はありませんでした。息子たちの安全を守るために、体制から離れることができず、いっそう忠誠を尽くすしかありませんでした」とヤン氏。「兄たちを人質に取る体制に、非常に怒りを覚えました」