■祖国が欲しい

 模索の旅を続けるヤン監督の最新作が、今年劇場公開される予定の映画『スープとイデオロギー(Soup and Ideology)』だ。

 この作品の主役は、自分の子どもをこよなく愛しながら、北朝鮮に深く忠誠を誓っているヤン氏の母、カン・ジョンヒ(Kang Jung-hee)さんだ。

 母は45年もの間、平壌にいる息子たちに食料や金銭、その他の物資を送り続けた。現金と交換できるよう、セイコー(SEIKO)製の腕時計を送ったこともある。

 母はしばしば「不自然なほど、大げさに明るく」、息子たちは「首領様のおかげで」平壌で元気にしていると人に話していたとヤン氏は言う。

 だが、特に一番上の兄が双極性障害(そううつ病)と診断された後は、「家では一人で泣いていたのでしょう」。母は何が必要かも分からないまま、治療薬を買えるだけ買って日本から送っていたという。その兄は2009年に亡くなった。

 年老いてから母は、心に傷を負ったもう一つの出来事をヤン氏に語った。1947年から54年にかけて、韓国の済州島(Jeju Island)で島民の蜂起を鎮圧するために韓国軍が行った虐殺だ。韓国国家記録院(National Archives of Korea)によると、その間に3万人が殺害された。

 ヤン監督の母は大阪生まれだったが、その頃、両親の故郷の済州島にいた。死者には親戚や婚約者も含まれていた。

「母は、祖国を心底欲しがっていた人です。済州島の住民になりたかったのに、離れざるを得ませんでした。日本には自分の居場所がないと思っていました」とヤン氏は語る。

「母は信じることのできる政府を求めていました。そして北朝鮮を信じたのです」。ヤン氏の2人の兄が今も暮らす国だ。

 さまざまな困難に直面しながらも、ヤン氏は声を上げたかったと言う。「若い時からいつも、『これを言うな、あれを言うな、いつもこう言え』と言われていました」

「そして気付きました。どんな犠牲を払っても、私は声を上げたかったのだと」 (c)AFP/Claire LEE