■ファンの深刻なサッカー離れ

 ブラジルでは過去2年間で、W杯のための12か所を含む、合計14のスタジアムを改築、もしくは新築した。ポルトアレグレ(Porto Alegre)を本拠地とするグレミオ(Gremio)、サンパウロ(Sao Paulo)を本拠地とするパルメイラス(Palmeiras)は、それぞれ新しいスタジアムを手に入れた。

 それでも、ブラジルにおけるサッカーの収益は、スポーツ全体のわずか2パーセント。一方、イングランドでは約30パーセント、ドイツでは20パーセントと、かなりの割合を占めている。

 改修されたマラカナン・スタジアム(Maracana Stadium)で、W杯決勝のドイツ対アルゼンチンが行われたことは記憶に新しいが、1950年ブラジル大会の決勝では、ウルグアイと地元ブラジルの一戦を見ようと20万人ものファンが訪れた。

 現在、リオデジャネイロ(Rio de Janeiro)を本拠地とするチームの試合で使用されている同スタジアムは、空席が目だつ状態が続いている。

 負債が経営を圧迫し、2部降格が決まったボタフォゴFR(Botafogo FR)は、あるアイデアを打ち出した。―――アマゾナス(Amazonas)州からブラジル全国選手権に参戦しているチームがないことに目をつけたボタフォゴは、リオから3000キロ以上離れたマナウス(Manaus)のアレーナ・アマゾニア(Arena da Amazonia)で試合を行うことで、フラメンゴ(Flamengo)との「クラシコ」に3万9500人ものファンを集客したのだ。

 ニュース大手グロボ(Globo)は、平均観客数の1万1300人を優に超えたと報じている。

 サンパウロ大学(University of Sao Paulo)でスポーツマーケティングを教えるアリ・ロッコ(Ary Rocco)教授は、「1950年代から70年代にかけて、ビッグクラブはスタジアムを満員にすることができた。サッカーは祝祭で、ブラジルのアイデンティティーを象徴するものでした」と語った。

 ロッコ教授は、フーリガンの出現や経営不振、サッカーにおけるモラルの低下が顕著になった1990年代から、この傾向に変化が見え始めたとしている。