【11月16日 AFP】米プロバスケットボール(NBA)、ボストン・セルティックス(Boston Celtics)で通算11度のファイナル制覇を果たしたビル・ラッセル(Bill Russell)氏が15日、自分よりもっとふさわしい黒人選手がいると主張して1975年に拒否していたバスケットボール殿堂(Basketball Hall of Fame)の指輪を受け取った。

 NBAの伝説的選手である85歳のラッセル氏は、現役時代の1957年から69年にかけてセルティックスの王朝時代を築き、シーズン最優秀選手(MVP)に通算5度選出された。北米プロスポーツでは黒人初の指揮官となり、1968年と69年にはセルティックスのヘッドコーチ(HC)としてタイトルを獲得した。

 ラッセル氏はセンターとして圧倒的な強さを発揮し、黒人選手として初めてNBAのスーパースターとなったが、殿堂入りに関しては黒人選手の先駆者が他にいるとして、自分にはふさわしくないと主張した。

 しかし、今年チャック・クーパー(Chuck Cooper)氏がマサチューセッツ州スプリングフィールド(Springfield)の殿堂入りを果たしたことが、ラッセル氏の気持ちを和らげたとみられる。

 クーパー氏はドラフトでNBA入りした初の黒人選手で、1950年にセルティックスから2巡目指名を受け、同じく殿堂入りを果たしたアール・ロイド(Earl Lloyd)氏やナサニエル・クリフトン(Nat Clifton)氏とともに、アフリカ系米国人として初のNBAプレーヤーとなった。

 1956年のメルボルン五輪では米国代表の金メダル獲得にも貢献したラッセル氏は、往年の名選手であるビル・ウォルトン(Bill Walton)氏、アロンゾ・モーニング(Alonzo Mourning)氏、元女子バスケのスター選手であるアン・マイヤーズ(Ann Meyers)氏らとともに、殿堂入りのリングを受け取っている。

 バスケットボール界で最も偉大な選手の一人と称されているラッセル氏は、現役時代に通算1万4522得点、2万1620リバウンド、4100アシストを記録。2011年にはバスケットボールでの業績と市民権運動への貢献が認められ、大統領自由勲章(Presidential Medal of Freedom)を授与された。(c)AFP