【12月8日 Xinhua News】ジャイアントパンダは古くから存在し、世界中の人々に愛されている動物だ。40年前、カメラを肩に掛け、このジャイアントパンダと触れ合いながら6年間過ごした女性がいる。現在84歳になる彼女は、1千枚以上に及ぶパンダの写真を発表し、世界中の読者に紹介したことから、中国や海外の人々から親しみを込めて「パンダ記者」と呼ばれている。

 彼女の名前は金勗琪(Jin Xuqi)。新華社の初代パンダ担当記者だ。金さんは1952年に四川大学中国語文学科に入学。卒業後は新華社に入り、四川支社に配属された。記者生活において、6年以上にわたってパンダとの交流を重ね、四川省西部の高山密林地帯に分け入り、パンダの生息環境や生活、習性、生育・繁殖状況、人間による保護・研究を記録、報道し、1千枚以上に及ぶ写真を撮った。

 金さんはしばしば、山間の営林場に入って20日余り滞在していた。科学研究スタッフと共に野生のパンダを追跡し、パンダの人工繁殖や飼育の進展に注目した。金さんは当時を振り返り「子どもと過ごす時間より、パンダを撮影する時間の方が長かった」と懐かしそうに語った。

 新華社の初代パンダ担当記者 金勗琪さん

 1979年、つがいのパンダがドイツに贈られることになりました。そこで、パンダの生息環境や習性、飼育方法を撮影する必要がありました。

 ここは中国四川省の夾金山(Jiajinshan)、標高2900メートル余りのところです。パンダを1頭、見つけました。こんな高い場所へ来たのもこんな大雪も、人生で初めてでした。撮影では、滑って転ぶこともありました。転んだらすぐに起き上がらなくてはなりません。私がカメラを構えた途端、(パンダが)威嚇してきました。わぁと私に向かって吠えていました。ぎょっとしました。パンダとの最初の遭遇はこんな感じでした。私たちはその後、このパンダと一緒に成都市に戻りました。

 可愛いですね。

 このパンダのお母さんは「美美(Mei Mei)」といいます。人工授精で生まれ、人工飼育で育った最初の1頭です。成都生まれで、「蓉生(Rong Sheng)」と命名されました。生まれたときはこんなに小さくて、ねずみのようでした。「美美」は片手でこの子を隠すことができます。用を足すときもこの子を口にくわえていました。とにかく赤ちゃんの姿はなかなか見られませんでした。

 このパンダは、水の飲みすぎです。飲みすぎで動けなくなっています。このパンダに気づいたのは偶然でした。自分の影を見て、パンダがもう1頭いると思ったのです。もう1頭に奪われまいと焦って飲み、必死で飲み続け、おなかがパンパンで動けなくなったのです。もはや攻撃能力などなきに等しい状態でした。

 人には「あなたはもしかすると野外で野生のパンダに遭遇した初めての記者なのでは」と言われます。(c)Xinhua News/AFPBB News