チェ・ゲバラ没後50年、遺体と対面した当時のAFP特派員の記事
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■「ゲリラの冒険は終わった」
会見には1人の米兵が臨席していた。記章は着けていなかったが、がっしりした体格や赤みを帯びた顔、軍服が国籍を示していた。
私はこの兵士に向かって英語で質問を投げ掛けた。すると兵士はボリビア兵の方を向き、この人は何を求めているのかとスペイン語で尋ねた。さらに私に向かってスペイン語で「ノ・コンプレンド(分かりません)」と言って歩き去った。
後にサウセド大佐が私に対し、「そうだ、彼は米兵で、サンタクルス(Santa Cruz)センターの教官だ。立会人としてここに来た。米軍のグリーンベレー(陸軍特殊部隊)は、ボリビアでの軍事作戦には関与していない」と語った。
反乱の動きが始まった3月23日以降に殺害された、キューバ人10人以上を含むゲリラ33人のリストが、バジェグランデで公表されている。
オバンド将軍はボリビアのゲリラ運動への参加者が予想外に少なく、60人前後を超えたことは一度もなかったと語った。
同将軍は、あらゆる狂った冒険がそうであるように「ゲリラの冒険は終わった」と言った。その敗因としては、民衆からのいかなる支持も得られなかったことと、地形の厳しさにあると分析した。そして「ゲバラはここ、バジェグランデに埋める」と明言した。
ラモンは狭小な渓谷で、ほぼ至近距離での激しい戦いの末に亡くなったとされる。彼の遺体に残っていた9発の銃弾は50メートル先から撃たれたものだった。
ラモンは1966年11月7日から1967年10月7日まで、ちょうど11か月間日記をしたためていた。ドイツ製の日記帳に残されたその筆跡は紛れもなく、筆者が誰かを告げていたという。(c)AFP