■「ラモン」の遺体を前にして

【1967年10月11日 AFP】私は10日午後、弾痕が残る「ラモン(Ramon)」という名のゲリラの遺体と対面した。ラモンはチェ・ゲバラの偽名とみられている。

 史上最も有名なゲリラの一人の死を記録するため、報道陣約30人がボリビア南東部の暑く気だるい町バジェグランデへ赴いたが、外国特派員は私を含め3人だけだった。

 われわれが乗ったプロペラ機はラパス(海抜4100メートル)から下降し、シエスタ(午睡)の時間にバジェグランデに着陸した。

 町の反対側の端、寂れた通りに門があり、50人ほどの見物人が物珍しそうに集まっていた。門をくぐると空き地があり、その奥の斜面にあるかつての牛舎が遺体安置所として使われていた。そこで正装の将校らと武装した兵士らの出迎えを受けた。

 セメント製の流し台の上に置かれた担架に、長髪でひげを生やした男性の遺体が横たわっていた。身に着けているものはオリーブグリーン色のズボンだけだった。

 無数の銃痕に覆われた血の気のない遺体の周囲には、防腐用のホルムアルデヒドの臭いが漂っていた。床にはさらに2人の遺体が放置されていた。

 ラモンの正体について、報道陣から上がりかねない疑念を払拭(ふっしょく)するために立ち会った将校らは、ゲバラと目の前の遺体との一致点を一つ一つ示して見せた。遺体の指紋もゲバラのものと一致したと聞いた時点で、疑いを差し挟む余地はもはやなかった。