【9月21日 AFP】シリアの首都ダマスカス(Damascus)南部にあるヤルムーク(Yarmuk)難民キャンプで、爆弾の爆発や飢餓を3年にわたって生き延びた一人の音楽家、エイハム・アハマド(Aeham al-Ahmad)さん──しかし、過激派戦闘員によって大切なピアノが目の前で燃やされた日、彼の中で何かが死んでしまった。

 アハマドさんの演奏は、追い詰められ、キャンプで暮らす住民らに癒やしや喜びをもたらしていたが、ピアノが燃やされた日に、彼は欧州を目指す数万人の難民の列に加わることを決めた。

「彼らは4月、私の誕生日にピアノを燃やした。ピアノは私の最も大切な物だった」とアハマドさんはAFPに語った。AFPは彼の旅路をオンラインで追った。

「ピアノは単なる道具ではなかった。友達が死んだも同然だ」と述べる27歳のアハマドさんにとって、それは「最もつらい瞬間」だったという。がれきだらけの中、パレスチナ人が暮らすシリア最大のキャンプでアハマドさんが奏でる希望の楽曲は昨年、ソーシャルメディアで大きな話題となっていた。

 2013年にシリアの内戦でヤルムークが攻撃されて以来、かつて繁栄したこの地域に住むパレスチナ人とシリア人の数は計15万人から1万8000人に減少した。

 キャンプは政府軍や反政府軍、過激派組織らの戦闘に巻き込まれ、そしてシリア軍に包囲された。その影響により、約200人が栄養および医薬品不足で死亡した。

 ヤルムークの人々、特に子どもたちは、アハマドさんの弾くピアノを聴くことで、一時的ではあるが、突きつけられている厳しい現実を忘れることができたのだという。

 だが本人は、「最も無力だと感じたのは、お金があっても、1歳になる息子にミルクを与えることができなかったときと、上の息子がビスケットを欲しがっても何もできなかった時だ」と語り、「最悪の気分だった」と当時を振り返った。