■マラリヤとデング熱

「放ったら、どーんと。それでも向こうを向いていたから私のところには当たらない。ところが向こうの人もびっくりしちゃって、何だこの野郎、って言うんですよ。俺は日本人だぞう。そんなことしないで早く出て来い。はあ、また助かったよ。それで行ってみた」

「そうしたところが、…海岸端だった。下士官兵15~16人の見張りのテントで。私たちは助けられた。で、何の目的の部隊か聞いてみた。ここは、特殊潜航隊といって人間魚雷。それの最初の基地だ、と。いまに人間魚雷をみんなここへ送ってくるから、それをわれわれが持ってこの川から海に出て、アメリカのいわゆる軍艦がいっぱい寄ってるそこまで行ってぶつかる、その準備をしているんだ。ちょうどお前たちも一緒にその作戦につかえるようだから(手伝えと)」

「でも佐藤さんはいいけれども私はもう駄目。15~16人で持ってきた薬品を使ってくれたけれども、私の傷はどんどんどんどん腐ってくる。そこへウジは湧いてくる。薬はない。マラリヤとデング熱で毎日熱がでてくる。それでもどうです、私は約2週間ぐらい毎日、海岸へ行っちゃあ、塩水で洗ってウジを退治して、それでも多少、消毒になったとみえて、馬肉のようになった肉がとれて、そうしたところが、今度は、エスペランス岬(Cape Esperance)というところへ日本の潜水艦かなんかが入るから、そこへガダルカナルで(激戦ののち)逃げ回っていた兵隊さんをなるべく集めて日本へつれて帰る、そいうい船が入るから、そこへ行って乗ってけと、私を送ってくれた」

「なんか朝早く出ていって夜遅く着いたことは覚えている。ところがもう、熱で手は駄目だ、熱でもう意識が朦朧(もうろう)としていて、夜遅くついたころには意識不明。そこまでアメリカのグラマン(Grumman、戦闘機)が爆弾を落とし、照明弾を落として銃撃をしてた、それだけ意識はあったけれども」

「それから気がついたら、それこそびっくりしたんです。きれいな病室できれいなベッドで寝てるんですねえ。あ、これはてっきり、捕虜になっちゃったなあ。よし、捕虜になって向こうに殺してくれと頼んでも外国の捕虜の扱いは非常に丁寧で、殺してくれないから、脱走すれば仕方がない撃ち殺してくれる」