■あきららめない気持ちの源、親子の愛情が平和に

「そして私にはおかげさまで4人の子どもが生まれました。その子どもを家内が一生懸命に守って途中はまあ、いま一緒にいる長女が2番目なんですが、この人が生まれた後はもう、戦争でがちゃがちゃになっちゃったから、家内も子どもの面倒をよく見られなかったみたいですから、この長男と長女だけは、しっかりね、19、20の若い女性がしっかり抱いていたことは私は見ています。そして、あなたが死んだら、子どもと(自分)は一緒に死んで、お国のいわゆる軍国の母になるから、あなた一人では死なせません、という決意を私は信用しました」

「そしたら、やっぱり、我慢して生きていかなきゃならない。私には家内も子どももいるんだと、自分の命は全て、一族の命であり、国の命なんだと。簡単に自暴自棄を起こしたり、自分の命を粗末にしちゃいけないんだ。それが結局、長く生きちゃったもとでも、ないんかしらねえ」(といたずらっぽい笑顔に)

「(戦場で傷ついた兵士の最後について)初期・中期・後期と、私は3つに分けて、死の直前の判断をしております」「初期のときに──おおげさな人は、大日本帝国あるいは天皇陛下万歳と言うかもしれないけれども──初期のときにはそんなことを言うだけの余裕はない。その次に来るのが家族、自分の子ども。これが、どうなるかと思う。しかし、これも、戦争ではどうにもならない。そして最後におっかさん、(と死の間際に言う)」

「…(中略)…平和、平和って言うけれども、平和の一番もとは…(中略)…おっかさんの悲しむ顔だけは絶対しない、という子どもの気持ちが戦争を抑える力になる、そのほかは駄目、だから、戦争をなくすのには、おっかさんと、その子どもの若い命がなによりも大事じゃないか」

「湾岸戦争までは、私は自分の戦争体験を思い出すことが非常に苦しい思い出ばっかりだったものですから、忘れよう忘れようとして、なるべく自分が戦ったことを忘れようとして努力しておりました」