【5月9日 AFP】それは、ちょうど125年前のこと。1886年5月8日、米ジョージア(Georgia)州アトランタ(Atlanta)の薬剤師ジョン・ペンバートン(John Pemberton)氏は、頭痛と疲労を緩和する薬剤の調合中に、後に世界で最も有名になる飲料のレシピを偶然、編み出した。――コカ・コーラ(Coca Cola)だ。

 今やコカ・コーラは米国の象徴となり、世界200か国で販売され、コカ・コーラ社は世界トップ100企業に名を連ねる。ダイエット・コーラなどバリエーションも人気だが、一番人気は今でも定番のコカ・コーラ。17%のシェアを持ち、ライバルのペプシ(Pepsi)を上回っている。

 そのレシピは、企業秘密として厳重に守られ、何世代にもわたって極秘に受け継がれてきた。だが、受け継がれてきたのはレシピばかりではない。

■「いんちき療法」全盛期に誕生した「万能薬」

「『コカ・コーラ伝説』そのものが、年月とともに練り上げられ受け継がれてきたのだ」と、マーク・ペンダーグラスト(Mark Pendergrast)氏は著書『For God, Country and Coca-Cola(神と国とコカ・コーラのために)』に記している。

「伝説」では、ペンバートン氏はコカ・コーラを開発したおかげで億万長者の仲間入りをした。典型的な「アメリカンドリーム」だ。だがペンダーグラスト氏は、「気むずかしい薬剤師が、たまたま裏庭でコカ・コーラを配合してしまったという話では決してない」と主張する。

 同氏によれば、コカ・コーラが誕生した1800年代末は「いんちき療法の黄金時代」だった。多くの医師たちがさまざまな素材を利用して、多種多様な薬剤を配合する時代だったという。当時は現代薬学の黎明(れいめい)期で、万能薬を求めて製薬産業が成長する中、多くの薬剤師や「ヤブ医者」たちが、街角でさまざまな商品をたたき売りした。

 その中で発売されたオリジナルのコーラは、今のコーラとは味が違っただろう、とペンダーグラスト氏は指摘する。「他のいんちき薬剤と同じようなものだっただろう。売薬に、独特のコカインの刺激を加えたものだ」

 実際、「万能薬」として発売されたコカ・コーラは、1日平均9杯程度とほとんど売れなかった。

■「繁栄する米国」の象徴に

 コカ・コーラの人気が出たのは、実業家のエイサ・キャンドラー(Asa Chandler)氏が1888年に権利を買い、ソフトドリンクとして大量生産するようになってからだ。数年後には全米で大人気の飲料となり、1919年にはフランスで販売を開始して欧州初上陸を果たすと、1929年にはドイツにも販路を拡大した。

 だが、何より増して、コカ・コーラは「文化現象」と呼べるだろう。肥満児が増えようと、糖分含有量の多さが問題になろうと、今でもコカ・コーラは世界で最も飲まれている飲料だ。コカ・コーラ社の前年の純収入は350億ドル(約2兆8000億円)、利益は120億ドル(約1兆円)に上る。

 コカ・コーラの赤と白のラベルは、もはや1つの商品にとどまらない欲望の対象となっており、同社の機敏なマーケティング戦略に打ち勝ちブランドイメージを覆すことは至難の業だろうと、『The Real Thing: Truth and Power at the Coca-Cola Company(ホンモノ:コカ・コーラ社の真実と力)』の著者、コンスタンス・ヘイズ(Constance Hays)氏は論じている。

「絶え間ない広告活動に、かしこいマーケティング、そしてときに幸運も味方に付けて、コークは華やかで繁栄した愛国的な米国の象徴になったのだ」(ヘイズ氏)

(c)AFP/Gregor Waschinski