■ペストのヒトからヒト感染を訴え、無視された中国人医師

 ウーは同僚たちに対し、この病気が腺ペストのようにネズミについたノミを介してうつるだけではなく、ヒトからヒトにも感染することを信じてもらおうと必死に説いた。

 英セント・アンドリュース大学(University of St Andrews)の医療人類学者クリストス・リンテリス(Christos Lynteris)氏によると、「ウーは、ノミを媒介しなくても、肺ペストで肺が侵される患者が、この病気を空気感染で直接他の人にうつす可能性がある考えを示した」「これは非常に革新的で、当時としては、とんでもない考えだった」。

 それはまた、感染を阻止するためにマスクが必要になることを意味した。だが、サマーズ教授によると、当時の公衆衛生当局は二つの大きな問題を抱えていた。

 1番目は政治的問題だった。「清国は崩壊しかけていて、周縁部に位置していた満州はことさら混沌(こんとん)としていた」。2番目は「伝統的な民間療法」に慣れている国民に、科学に基づいたアプローチの長所を納得させる必要があることだった。

 ウーは自伝「Plague Fighter(疫病戦士)」の中で、人々が運命論的な諦めを抱いていることを嘆いた。「無気力な諦めの境地から人々の目を覚ますには、ショッキングなほど悲劇的な何かが必要だった」

 そこに起きたのは、著名なフランス人医師ジェラルド・メズニー(Gerald Mesny)の死だった。ウーによると、メズニーは若いウーを「中国人」と呼んで相手にせず、この病気が肺ペストだというウーの主張を信じなかった。メズニーはその後、顔を覆わずに病院を訪れ、数日のうちに死亡した。

 突然、マスクが大流行した。「通りにいるほとんどすべての人が、いろいろな形状のマスクを着けていた」とウーは記している。

 満州のペスト流行時の写真を見ると、医療従事者は厚い包帯で頭全体を覆い、保健局の作業員たちは凍土を掘って開けた穴に遺体を運ぶ際、フードをかぶり、口や鼻の周りに布をきつく巻き付けている。

 リンテリス氏によると、ウーは「遺体を運んでもマスクが顔からずれないよう、ひもの開発を試みた」。

 当時、世界中の新聞で使われ始めていた写真によってマスクが注目され、伝染病といえばマスクを連想するようになったという。