【7月11日 AFP】サッカー元アルゼンチン代表MFで、W杯(World Cup)優勝メンバーのホルヘ・ブルチャガ(Jorge Burruchaga)氏の息子が、サッカーボールではなくテニスボールとともに自身のキャリアを歩み始めた。

 テニス、ウィンブルドン選手権(The Championships Wimbledon 2019)で息子のプレーを見るのが「苦しい」と明かしたホルヘ氏は、1986年W杯メキシコ大会(1986 World Cup)決勝の西ドイツ戦でチームを優勝に導くゴールを挙げた。

 ホルヘ氏はまた、アルゼンチンがイングランドに勝利した同大会の準々決勝でも、ディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)氏と共に主力として活躍した。

 当時から30年以上が経過し、ホルヘ氏の息子であるロマン(Roman Burruchaga)は、自分なりのやり方でイングランドに挑戦しようとしている。ホルヘが挑んでいるのは、ウィンブルドンのジュニア部門だ。

 ジュニアの男子シングルスに出場している17歳のロマンは、ウィンブルドンでのデビュー戦となったパブロ・ジャマス(Pablo Llamas)との1回戦に6-4、4-6、6-2で勝利すると、32強入りを果たした唯一のアルゼンチン人選手になった。

 ロマンはシングルスの2回戦で大会第8シードの望月慎太郎(Shintaro Mochizuki)に敗れたが、ナタン・ロドリゲス(Natan Rodrigues、ブラジル)とペアを組んでダブルスにもエントリーしている。

「何が起きるかはそのうち分かる」と話すロマンは、「グラスコートでの初の大会をイングランドで迎えられたこと」をうれしく思うと話した。

「このサーフェスに関しては、だんだんと心地よく感じられるようになってきている」

 今大会の男子シングルスで、南米の選手として唯一メインドローの2週目にまで勝ち残った第26シードのギド・ペラ(Guido Pella、アルゼンチン)は、グラスコートについて「アルゼンチンでプレーしている人はいない」と語っている。

■緊張する父

 56歳のホルヘ氏はロマンの試合を観戦するため、オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ(AELTC)の第5コートにいた。このコートにはベンチが数台あるだけで座席は用意されておらず、センターコートの陰になっている。

 誇らしげなホルヘ氏は、5月から6月にかけて開催された全仏オープン(French Open 2019)ではロマンのプレーを見ることができなかったが、息子のウィンブルドンデビューは見逃したくはなかった。

 ロマンが「父がここに来たがっていたのは、長い間僕のプレーを見ていなかったから」と明かした一方で、ホルヘ氏は息子がコート上で戦っているのを見るのは少し「苦しい」と認めた。

 33年前、ホルヘ氏は1986年W杯を制したアルゼンチンで重要な役割を担った。出場した準々決勝のイングランド戦では、マラドーナ氏は「神の手」でゴールを決めると、さらには5人抜きのドリブルから得点を挙げた。

 さらにホルヘ氏は決勝の西ドイツ戦で、84分にマラドーナ氏からのスルーパスを受けると決勝点を挙げた。

 ロマンが生まれたのはそれから16年後だったが、ブルチャガ家におけるスポーツの才能を引き継いでいるのは彼だけではない。

 21歳のマウロ(Mauro Burruchaga)も、イタリア2部リーグに降格したキエーボ・ベローナ(Chievo Verona)で、プロサッカー選手としてのキャリアを歩み始めている。(c)AFP/Anna CUENCA