【11月9日 AFP】ドイツの首都ベルリン(Berlin)北方のベルノイシン(Werneuchen)にある小さなアパートで暮らすハラルト・イエーガー(Harald Jaeger)氏(71)は、本人は否定するものの、「ベルリンの壁(Berlin Wall)を開放した男」と呼ばれている。

 かつて東ドイツの共産主義体制に忠誠を尽くす国境警察の隊員だったイエーガー氏は、それでも「壁を開いたのは私ではない。あの夜に集まった東ドイツの人々だ」と謙遜する。

 1989年11月9日の夜、東西ベルリンを隔てるボルンホルマー通り(Bornholmer Strasse)の検問所は、上司からの明確な指令もなく、完全な混乱状態に陥っていた。そんな中、とっさの判断でゲートを開いたのがイエーガー氏だった。

 夜を通して興奮状態で殺到してきた東ドイツの人々は、厳しい寒さの中、西ベルリンへとなだれ込んだ。冷戦のシンボルであり、28年間にわたってベルリンを分断していた「鉄のカーテン」は、こうして平和裏に打ち倒された。

■あのとき何が起きたのか

 軍の中佐であり、秘密警察シュタージ(Stasi)にも所属していた彼は当時、28年にわたって国境警察で勤務し、ボルンホルマー通り検問所の副所長を務めていた。

 25年が経った今もイエーガー氏は、群衆が集まるきっかけとなった言葉を耳にした時の衝撃を思い出すという。

 共産党の高官が突然、東ドイツの国民は「すぐさま、滞りなく」外国を訪れることができるとテレビ放送で宣言したのだ。

 AFPのインタビューに対して「パンがのどに詰まりそうになったよ」と話す彼は、「自分の耳が信じられず、『いま一体、どんなばかげた話が発表されたんだ?』とつぶやいた」と話す。