【12月15日  People’s Daily】1945年は、歴史の偉大な転換点となった。中国で14年、エチオピアで9年、英国・フランスなど西ヨーロッパ諸国で6年、ソ連・米国・東南アジア・太平洋で4年におよぶ過酷な戦いの末、世界はついに反ファシズム戦争の勝利を勝ち取った。

80年が経過した今、この勝利を記念し振り返るにあたっては、勝利の成果の歴史的意義を総括するだけでなく、戦争が始まった歴史的背景にも再度目を向けなければならない。そうした分析を通じて初めて、正義の勢力が支払った重い代償と平和と発展を守るための時代の教訓を、より包括的かつ深く認識できるのである。

この戦争には二つの震源地があった。ヨーロッパとアジアである。英語圏の国々にとって、ヨーロッパの叙事(史実)はより馴染み深い。一方、アジアにおける震源地は日本であり、しかもその暗雲は非常に早くから立ち込めていた。

明治維新後、日本は対外拡張の道を歩み始めた。1894年、日清戦争を起こし、台湾と澎湖諸島を奪取した。その後、日露戦争を通じて中国の東北部の領土と主権を侵害した。1931年、日本の軍国主義者たちは「九一八事変(柳条湖事件)」を敢行し、世界のファシズム侵略の烽火を最初に燃え上がらせた。
こうして中国は局部抗戦の段階に入り、そしてこれが世界的な反ファシズム戦争の幕開けとなった。 

1936年、日本とドイツは「防共協定」を締結し、イタリアがその翌年これに加わった。この結びつきにより、東と西の戦争の発生源が結びついたのである。
1937年、日本の軍国主義者たちは意図的に「七七事変(盧溝橋事件)」を引き起こし、中国に対する全面侵略を開始した。その瞬間から、中華民族全体の総力戦となり、中国が世界反ファシズム戦争の「東方の主戦場」となった。

世界的視点から見ると、中国がファシストの侵略に最も早く立ち向かった国であった。

その当時米国や英国を含む多くの国々はなおもドイツ、イタリア、日本のファシズムに対して宥和政策をとっていたが、中国はすでに大規模な反ファシストの戦場を開いていた。1939年にヨーロッパで、1941年に太平洋で戦争が勃発した時点で、すでに中国はそれぞれ8年、10年もの間、日本の軍国主義に抵抗し続けていたのである。

二つの戦争の震源地に対して二つの主戦場があった。欧州戦線とアジア戦線である。日本の中国侵略は、アジア戦線を特徴づけるものであった。中国戦場は、日本の短期決戦戦略を効果的に阻止し、そのアジア太平洋における全面的侵略戦争を遅延させた。これはアジア太平洋地区全体の抗日作戦の角度から見れば、中国がアジアの主戦場であっただけでなく、世界の反ファシズム戦争の最終的な勝利にとって非常に重要な貢献を果たしたものだった。

あの過酷な抗日戦争を通じて、中華民族全体が、生存、民族の復興、人類の正義のために戦い、膨大な犠牲と重大な貢献を払った。14年以上にわたる抗戦において、中国の軍民の死傷者は3500万人以上に達し、直接・間接の経済損失は6000億ドル(約94兆5480億円)を超えた。中国軍は日本の軍事力の大部分を長期に拘束して抗戦を続け、150万人以上の日本軍将兵を殺傷した。

同時に、中国の長期持久戦は日本の国力と資源を大きく消耗させ、日本のファシズムが最終的に敗北する決定的な要因となった。

中国人民の抗日戦争は世界的意義を持つものだ。習近平(Xi Jinping)主席は「中国の抗日戦争は戦略的に連合国側の欧州と太平洋の作戦行動と連携し、それを支援するとともに、日本のファシズムとドイツ・イタリアのファシズムとの戦略的連携の企てを制限し混乱させるものだった」と指摘している。

中国は14年にわたり日本の軍国主義の主力を抵抗し続けることで、日本を長期戦争の泥沼に陥らせた。この持久戦がまさに、日本軍のソ連への「北進」を阻止し、ソ連が二正面作戦を回避することを可能にした。また、日本の東南アジアへの「南進」を遅らせ、日本がドイツ、イタリアと結託して世界を支配しようとするという構想を粉砕した。

米国の元大統領フランクリン・D・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)は、中国の極めて重要な役割を認識し「中国がなければ、あるいは中国が敗北していたならば、多数の日本の師団が他の地域に展開していただろう。日本は即座にオーストラリアとインドを占領し、その後中東にまで進出していたかもしれない。」と述べている。

1942年1月、中国、アメリカ、英国、ソ連など26の反ファシスト国は共同で「連合国共同宣言」に署名し、国際反ファシスト統一戦線が正式に樹立された。この世界反ファシズム同盟の結成が、最終的な勝利への重要な基礎となった。

中国人民の抗日戦争の闘いもまた世界的な戦いの一部であった。世界の平和と正義を愛する国々と人びとが貴重な支援を提供した。
ソ連や米国の「援華航空義勇隊員」たちが中国の空で勇敢に戦い、中国の空で血を流した。朝鮮、ベトナム、さらには日本の反ファシスト戦士たちも中国人民と共に戦った。

カナダ人外科医ノーマン・ベチューン(Norman Bethune)やインド人医師ドワルカナート・コトニス(Dwarkanath Kotnis)は、負傷兵の治療に献身し命を捧げた。

ドイツ・シーメンス(Siemens)の駐在員ジョン・ラーベ(John Rabe)やデンマークの実業家ベルンハルト・アルプ・シンドバーグ(Bernhard Arp Sindberg)は、南京大虐殺の際に数千人の難民を救い、日本の残虐行為を記録し暴露した。

これら国際的な友人たちの崇高な人格と犠牲的精神、そして戦争終結を早める上で連合国が果たした決定的役割は、中国人民によって永遠に記憶され、忘れることはない。

世界反ファシズムの視点から中国人民抗日戦争を検証し、中国の抗日戦の歴史の中での適切な位置づけは、中国の戦いが世界反ファシズム戦争に果たした偉大な貢献を明らかにし、歴史の真実を正確かつ科学的に把握するのに役立つものだ。

さらに重要なことは、この正義と悪、光と闇、自由と隷属との生死をかけた戦いを通じて、中国が自ら世界の大国の地位を再度確立した点である。中国人民は、平和を愛する全ての国の尊敬を勝ち取り、中華民族は崇高な民族的名声を得た。そして、中国が独立、自由、解放を追求する揺るぎない決意を世界に示すものになった。

世界の反ファシズム戦争の勝利は、中国と全ての反ファシズムの連合国の共同の勝利であった。中国は80年前と同様に、平和を愛する全ての国と人びとと協力して、引き続き世界の平和、安定、発展を守ることに奮闘していく決意である。(c)People’s Daily /AFPBB News