■「野蛮」と呼ばれ

 ケベック州のアザラシ猟関連団体「Intra-Quebec Sealers Association」ディレクターのギル・テリオ(Gil Theriault)氏は、「われわれは野蛮なグループとのレッテルを貼られてきた」と言い、「こうした侮辱によって大いに苦しめられてきた。私たちの生活様式に対する攻撃だった」と説明した。

 1970年代以降、アザラシ猟は衰退の道をたどっている。

 カナダ大西洋沿岸では、主にハイイロアザラシとタテゴトアザラシの2種が商業目的で捕獲されてきた。

 1950年代から60年代にかけて、ファッション業界はこぞってアザラシの子どもの白い毛皮を求めていた。猟師たちは、この需要に応えることで利益を得ることが可能だった。しかし、こうした狩猟は1987年に禁止され、徐々にその扉は閉じられていった。

 米国は1972年以降、アザラシ製品を禁止している。欧州連合(EU)も2010年、残酷な狩猟方法を理由にアザラシに関連する製品の禁輸措置を取った。一連の動きで打撃を受けた業界は顧客の3割を失った。

 現在、アザラシは主に地元コミュニティーのために狩られ、ケベック州内の一部の高級レストランで提供されている。食材としてのアザラシへの関心を再び集めようとする動きもある。マグダレン諸島で食肉業を営むレジャン・ビニョーさんは「素晴らしい」肉と称賛し、ソーセージからテリーヌまで、約15種類のアザラシ肉製品を製造している。

「ホルモン剤は含まれておらず、鉄分が非常に豊富で低脂肪。地産の食材で健康的」と説明し、「いまだに毛嫌いされていることに驚く」と続けた。

 数十年前には数百人いた島の狩猟従事者は、今ではわずか数十人にまで減少した。ビニョーさんもそうした残る猟師の一人だ。