■「本当に助けてくれるのか」

 だが、そうした見方が島内で必ずしも広く受け入れられているとは言い難い。

 与那国島を含む沖縄県は、その過酷な経験から軍隊というものに対する反発が強い。第2次世界大戦(World War II)末期の沖縄戦では県民の4分の1が犠牲になり、1972年までは米国の占領下に置かれていた。今日でも、在日米軍基地の大半は沖縄県に残されたままだ。

 与那国島は、距離的には東京よりも台湾や韓国のソウル、さらには中国の北京に近い。日本政府は南西諸島防衛の脆弱(ぜいじゃく)性を意識して、本土から与那国島まで1200キロに及ぶ同諸島に自衛隊を配備し、防衛力を強化している。

 与那国島に自衛隊を配備するに当たり、政府は、安全保障上の利点に加え、広さ30平方キロの島に経済的利益がもたらされると強調した。

 与那国島の一部の議員は、島の経済的な将来は台湾や本土よりも近いアジア各国の商業ハブにあると考え「国境交流特区」構想を掲げたこともあった。しかし日本政府はそれを否定し、2007年から駐屯地建設への道筋を付けた。

 自衛隊駐屯に対する住民の支持は2010年に起きた中国との外交危機をきっかけに高まりを見せ、2015年の住民投票では与那国町民の約6割が支持するに至った。その後は中国の威嚇行為や相次ぐ海上事案にも押され、島民の支持は固まった。

「今はほとんど反対する人もいないですね」と自衛隊駐屯を支持してきた与那原繁さん(60)は話す。

 しかし、中国が台湾を強制的に支配下に置こうとした場合、自衛隊の存在によって島が標的になってしまうのではないかなど、与那国島が置かれる状況について懸念する声は依然ある。

 漁師の上原正且さん(62)もその一人だ。

「いざ有事の時に島民を助けてくれるか、ということが第一の問題なのではないでしょうか。(中略)今回の中国と台湾の件を見ても、有事の時に本当に自衛隊がやってくれるか、これは本当に違和感を覚えますね」