【12月25日 AFP】体操女子の元ハンガリー代表で、存命中では世界最高齢の五輪金メダリストであるアグネス・ケレチ(Agnes Keleti)さんは、来月9日に100歳の誕生日を迎えるが、いまも健在だ。先月AFPの取材に応じたケレチさんは、「元気だけど、鏡は見ないようにするのが秘訣(ひけつ)! それで若くいられる!」と語った。

 通算5度の五輪金メダル獲得を果たすなどハンガリーで最も成功した体操選手のケレチさんは、ホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)を生き延び、史上最高のユダヤ人アスリートの一人として知られる。現在は認知症のため短期記憶に影響が出ているが、持ち前のはつらつとした精神は全く変わらない。

 人生の思い出の品や五輪メダルが飾られている自宅を活発に動き回りながら、開脚はやらせないでと冗談を飛ばすケレチさん。100歳の誕生日を記念して出版される自伝をめくりながら、「この年齢ではやらない方がいいと介護士に言われている」と笑った。

 ケレチさんの生涯は、五輪での栄光からホロコースト脱出と、まるでハリウッド(Hollywood)映画の脚本のようだ。

 1921年に生まれ、五輪では1952年のフィンランド・ヘルシンキ大会と1956年の豪メルボルン大会で計10個のメダルを獲得。そのほとんどを30歳を過ぎて自分より半分も若い選手を相手に手に入れた。

 2016年のAFPのインタビューで、「競技をしていたのは満足な気持ちになるからではなく、世界を見るためだった」と話していたケレチさんは、1939年にハンガリー代表に招集され、その翌年に初めて国内選手権でタイトルを獲得したが、ユダヤ系であることを理由に1940年にはいかなる競技大会への参加も禁じられた。

 1944年3月にハンガリーがナチス・ドイツ(Nazi)の占領下に置かれた後、偽造文書を使ったりピロシュカ・ユハス(Piroska Juhasz)という小間使いの少女に身元を偽ったりして強制収容所への移送を逃れた。田舎に身を隠していた際には定期的に走って体調を維持していたといい、「服や書類を交換してくれただけでなく、話し方も伝授してくれたピロシュカのおかげで生き延びられた」と明かす。

 父親と親族数人はアウシュビッツ(Auschwitz)で殺された一方で、母親ときょうだいはスウェーデンの外交官ラウル・ワレンバーグ(Raoul Wallenberg)氏の尽力で助かった。

 ソ連に対するハンガリー動乱(Hungarian Uprising)の翌年の1957年にオーストラリアへ移住した後、イスラエルに渡って1959年にはハンガリー人の体育教師と結婚し、2人の子どもをもうけた。

 競技を引退してからは体育教師として働き、イスラエルの体操代表チームでヘッドコーチに就任すると、1983年の世界体操競技選手権(FIG Artistic Gymnastics World Championships)で当時はまだ共産主義体制だったハンガリーにようやく帰国を果たした。

 2015年からは母国で生活しているケレチさんは、「注目されてきたことを考えると、人生で何かを成し遂げてきたかいがあった。自分に関する記事を見ると身震いする」と語った。

 映像は11月11日撮影。(c)AFP/Peter MURPHY and Balazs WIZNER