【8月10日 AFP】ベトナム戦争(Vietnam War)中の1967年1月、米テキサス州ダラス(Dallas)のラブフィールド空港(Love Field Airport)で米空軍の操縦士だった父ロイ・ナイト(Roy Knight)少佐に別れを告げたとき、ブライアン・ナイト(Bryan Knight)さんはまだ5歳だった。

 ロイ少佐はその4か月後の1967年5月19日、A1Eの「スカイレーダー(Skyraider)」攻撃機に乗ってラオス北部のホーチミン・ルート(Ho Chi Minh Trail)上空で戦闘任務に就いていた際、対空射撃によって撃墜され、死亡した。36歳だった。

 52年後、サウスウエスト航空(Southwest Airlines)の機長になった息子のブライアンさんは、米国旗で覆われた父のひつぎを乗せた飛行機を操縦し、ラブフィールド空港まで送り届けた。

 サウスウエスト航空が公開した映像でブライアンさんは、「父を母国に帰すことができたのは非常に光栄で、幸運に思う」と語っている。また、「どれくらいの人々がこのような機会を得られるだろうか」と述べ、「実現するとは全く思っていなかった」と明かした。

 ひつぎが飛行機から降ろされ、空軍の儀仗(ぎじょう)兵に渡される間、サウスウエスト航空の荷物係と空港の地上整備員らは、滑走路上で直立不動の姿勢を取っていた。

 米国防総省捕虜・行方不明者調査局(DPAA)によると、米ラオスの共同チームは今年に入ってから同少佐の遺骨を墜落現場から収容。歯科医の通院記録から身元を確認したという。(c)AFP