■完璧な城?

 反体制派勢力は2012年春、クラック・デ・シュバリエを掌握し、その後2年間にわたり指揮統制拠点や武器庫、約8キロメートル離れた対レバノン国境から入国する外国人戦闘員の中継地として利用した。城の立地は、十字軍の時代から現代にいたるまで戦略的な重要性を保っている。地元住民によると、反体制派の中でもシリア人の一般メンバーは城内への立ち入りを禁じられていた。

 2014年には政府軍が城に迫り、城内にいた戦闘員133人のほとんどが取引に応じてレバノンに逃亡。わずか17人の外国人戦闘員が城内にとどまった。

 城の建築責任者であるハゼム・フンノさんによると、800年前に築かれた城の固い守りは現代の戦闘でも機能するが、十分な防衛には最低でも100人の戦闘員が必要だ。城内に残った17人の戦闘員は、シリア政府軍の進攻を遅らせることしかできなかった。

「クラックは頑強で、これまで軍事的に打破できた軍はいません」とフンノさんは語る。中世には、中東での十字軍支配が崩れ始めた際、包囲の末の降伏という形でのみ陥落した。

■反体制派による破壊

 城のスタッフは、政府軍が城の奪還にあたって見せた配慮を称賛している。城では政府軍の掌握から2週間後、清掃作業が始まった。

「『騎士の間』は火災による煙で黒ずんでいたものの、幸運なことに数週間以内に清掃を始められたので、火災による損傷は表面のみで、石の中にまで浸透していませんでした」とフンノさんは語る。

 一方で、中世の階段は反体制派の防衛時に爆破され、永遠に失われてしまった。ハンガリーのカトリック系大学は天井部分と礼拝堂の一部を再建するために5000万シリアポンド(当時の為替レートで約2500万円)を寄付した。

■十字軍の芸術

 クラック・デ・シュバリエは十字軍時代の芸術が今でも見られる数少ない場所の一つだ。かつて鮮やかに彩られていた礼拝堂には、12世紀後半から13世紀前半にかけての中世のフレスコ画が現在も少数残っている。

By Tom Westcott

(c)Middle East Eye 2019/AFPBB News