■「僕のパパはベトナムにいるんだ」

 グリックマンさんは、それでもひるまず、「ピーナッツ」ファンである自身の黒人の友人たちに、この案が物事を単純化し過ぎだと思うかどうか聞いてみると提案し、そして彼らの賛成の声も伝えた。しかし、シュルツ氏はそれでも確信できないでいた。

 ところが、1968年7月初め、シュルツ氏は再びグリックマンさんに返信し、同月29日の週の漫画を見てほしいと知らせた。

 そして7月31日、作品が発表された。この回でチャーリー・ブラウンは海辺でボールをなくしてしまう。それを見つけて返してくれたのは、アフリカ系米国人の少年、フランクリンだった。フランクリンは、砂の城づくりや野球を通してチャーリー・ブラウンときずなを深めていく。

「君の家族は、このビーチに来ているの? フランクリン」と、チャーリー・ブラウンは新しい友達に聞く。するとフランクリンは言う。「ううん。パパはベトナムにいるんだ」

「僕のパパは床屋さんなんだ。戦争にも行ってたよ。どの戦争か分からないけどね」とチャーリー・ブラウンは答える。

 読者、新聞編集者らの反応は概ね良好だったとシュルツ氏は後年、振り返っている。だが、白人のチャーリー・ブラウンが黒人のフランクリンと同じ学校に通うのはいかがなものかというクレームが少なくとも南部の編集者1人からあったという。

 マーベル(Marvel)から初の黒人のスーパーヒーロー、ブラックパンサー(Black Panther)が誕生したのはこの2年前だ。だが、読者層の中心を白人と中流階級が占める主流派の漫画界でフランクリンが斬新なキャラクターであったことは間違いない。

 グリックマンさんがシュルツ氏に送った手紙は現在、米カリフォルニア州にあるチャールズ・M・シュルツ(Charles M Schulz Museum)博物館に展示されている。(c)AFP/Leo MOUREN