■新しい街

 大地震以降、「地震遺跡」の観光は被災地における最大の産業となった。レストランやホテルは、日々到着する観光バスにあやかろうとしているとチェンさんは言う。

 廃虚となった北川県と地震記念館を訪れた観光客はその後、30キロ離れた場所に築かれた新しい北川の街へ向かう。通りは広く緑豊かなにぎやかな街だ。ここの自治体や住民はほとんどが観光収入に頼っている。

 だが近年、地域を訪問する人の数は減っていると愚痴を言う住民もいる。彼らは、被災地観光の収入が減っていくことは避けられず、今後10年、20年後にどうやって生きていくのかと心配している。

 近郊の街、映秀鎮(Yingxiu)で、地震発生時刻を指した時計の彫刻の前に立っていたガイドのマさん(25)も地域の未来を懸念していた。クラスメートが埋まったままになっているという旧中学校の廃虚に訪問者らを案内しながら「私たちは観光だけにすがって生きていくことはできません」と語った。

 北川県を保存する取り組みは心情的なつらさだけではなく、経済的、技術的な問題にも直面している。チェンさんによれば被災地の保存プロジェクトは同種のものとしては稀に見る規模の大事業となっており、地元の自治体は年間2000万元(約3億5000万円)以上を費やしているとされる。(c)AFP/Ben Dooley