■コペンハーゲン

 2009年、京都議定書に代わる新たな協定を策定するため、世界中の国がデンマークのコペンハーゲン(Copenhagen)に集まった。二酸化炭素(CO2)排出で世界第1位の中国と第3位のインド、そして第2位の米国を含むすべての国に行動を義務付けることが目的だった。だが交渉は、二酸化炭素削減の責任分担をめぐり富める国と貧しい国とが対立し、ほぼ失敗に終わった。

 米国は他国の支持を受けながら、いかなる合意も上院の批准が必要となる「条約」と表現しないようにする、または国際法の下で拘束力を持つ排出規制を含めないようにするべきだと主張した。

 結局、同会議では公式ではない「合意」が成されたのみで、地球の平均気温の上昇を産業革命前と比べ2度未満に抑える目標をうたったが、具体的な削減目標や期限については明記されなかった。

■パリ

 2011年、南アフリカのダーバン(Durban)の会議で、2015年までに次の国際的枠組みを完成させるという目標が打ち立てられた。

 バラク・オバマ(Barack Obama)前米大統領は中国の習近平(Xi Jinping)国家主席とともに、195か国の先頭に立って共通の目標を目指した。だが共和党が上院を支配するなかでオバマ大統領にできることは限られていた。

 各国は温暖化を抑制する包括的な目標と目的を取り決めることで合意したが、それは妥協の産物だった。

 このため各国に求められる排出削減は、別の法的拘束力のない記録に記載され、「公約」ではなく「貢献」と表記された。

 これによって、オバマ前大統領は上院の承認抜きで協定を批准することが可能となり、米国は2025年までに排出量を2005年水準から26~28%削減すると約束した。

 だが、それはまた協定離脱と公約違反をしたとしても、米政府への反発は、せいぜい外交的な冷遇にとどまるということも意味している。(c)AFP/Mariëtte Le Roux