【4月14日 AFP】ナイジェリア北東部ボルノ(Borno)州チボク(Chibok)地区にある国立の女子中学校。2年前、イスラム過激派組織「ボコ・ハラム(Boko Haram)」がこの学校から、女子生徒276人を拉致した。もはやここに残っているものはほとんどない。

 校名が書かれた看板の「女子」の文字は黒く塗りつぶされている。依然として行方不明の219人と同じように、世間から身を隠しているようだ。

 錬鉄製の門の向こう側には、ライフルを持った兵士たちが立っている。もはや守るべき人々はおらず、警護すべき建物もわずかしかない。校舎の本館に残っているのは薄緑色の塗装がはげ落ちた壁だけで、金属製の梁(はり)は倒れ、さびついている。打ち砕かれたコンクリートからは雑草が突き出している。

 町の長老は「チボクの教育はまったくゼロに等しくなってしまった。チボク唯一の学校だったのに、破壊されてしまった」と語る。

■「見捨てられたようだ」

 4月14日、女子生徒の集団拉致事件から丸2年を迎えれば、ボルノ州南部のこの田舎町に再び注目が集まるだろう。それまでほとんど知られていなかったチボクは今や、ボコ・ハラムとの激しい戦いの代名詞になっている。

 拉致された女子生徒の親たちは14日、学校に集まり、子どもたちの無事を祈る計画だ。だが、父親のうち16人、母親のうち2人はそこに来ることはない。ボコ・ハラムの襲撃などで死亡してしまったからだ。

 インターネット上では拉致を糾弾し、行動を起こすことを約束する声が世界的に上がったが、チボクの多くの人たちは見捨てられたように感じているという。

「(私たちは)何もしてもらっていない」と語る小学校教諭のヌケキさん。「ボコ・ハラム(現地語で『西洋の教育は罪』を意味する)はまさに、欧米の教育を排除するという自分たちの目標を達成した」とヌケキさんは述べた。

■娘との再会を胸に

 拉致された子どもたちの親の中には、チボクから車で10分ほどのムバララ(Mbalala)の住民もいる。まだボコ・ハラムの支配下にある場所だ。市が開かれる広場に人影はなく、聞こえてくるのは子供の遊び声とヤギの鳴き声、モスク(イスラム礼拝所)のスピーカーから流れる宗教指導者の説教だけだ。

 農業を営むヤワレ・デュニャさん(41)は、15歳の娘が拉致されて以来、何も手につかない。心ここにあらずといった様子で、礼拝用の数珠を触る。

 政府軍がボコ・ハラムを追い詰めていることから、デュニャさんは娘が無事に帰ってくるという望みを失わずにいる。娘と再会するシーンは何度も思い描いてきた。「帰ってきた娘を見たら、喜びで胸がいっぱいになるだろう。それまでの苦しみなどはすべて消え、人生の幸せの瞬間となるだろう」(c)AFP/Phil HAZLEWOOD