■変わってしまった生活

 毎日のように攻撃される中で生きていれば、できるだけ普通に暮らそうと思っても、生活は変わってしまう。

 私は自分の仕事の詳細を話して家族を動揺させることがないようにしている。だが数年前、カノの攻撃が激化したときにはきちんと状況を説明しなければならなかった。私は家族に、誰かが家にやって来て玄関をノックしたら、まずは誰か尋ねるようにと言った。もし誰か分からなかったら、玄関を開けるべきではない。それから近所でどこかの家を探している見知らぬ人物に話しかけられても、絶対に答えるなとも伝えた。

 当時、多くの報道機関が脅迫されていた。現地紙「ディスデイ(ThisDay)」のカドゥナ(Kaduna)州と首都アブジャ(Abuja)にある支局は爆破された。メディアが標的になっていた。

 当時12歳だった私の息子は、車に貼ってあった「報道車両」のステッカーに気づき、「父さん、これは取ったほうがいいと思う」と私に言ってきた。今、私の車にステッカーは貼っていない。

 私たちにとって、そしておそらくフランスの人々にとっても大きな教訓は、パニックに陥るなということだ。混乱し見失うこと、それこそがまさしく攻撃した側の者たちが望んでいることだからだ。カノでは救われている。人々は脅しに屈していない。もしも屈してしまえば、学校を閉鎖し、家に閉じこもってしまい、攻撃者の勝利になってしまう。

 14年にカノの軍当局は、ボコ・ハラムがクリスマス期間中に攻撃を仕掛けてくる可能性があるから、被害に遭わないよう外出を控えよという声明を出した。だが人々は従わなかった。それは重要な教訓だ。脅迫に負けず、可能なときは立ち上がるべきだ。そうしなけば、こうした攻撃をさらに、もっと受けることになるだろう。

 ナイジェリア北部には同様の動乱を経験し、鎮圧してきた過去がある。ボコ・ハラムによる攻撃もいつか終わりを迎えると、私は確信している。だがそのときまでは、さらに爆発や銃撃が続き、犠牲者も出るだろう。(c)AFP/Aminu Abubakar

このコラムはナイジェリアの都市カノを拠点とするAFP特派員アミヌ・アブバカルが執筆し、2015年12月9日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。