■何もなくても祖国よりまし

 債務を抱えるギリシャでは政府からの支援が圧倒的に不足しており、新たに到着した難民たちの中にはテントが足りず、道端に段ボールを敷いて寝ている者もいる。閉鎖して廃虚と化したホテル「キャプテン・エリアス(Captain Elias)」にも女性や子どもをはじめ、寝泊まりしている人たちがいるが、ここでも政府からの支援はほぼない。それでも、シリアから逃げてきた人々にとって、持つものが何もなくても欧州にいる方が、祖国にとどまるよりもましなのだ。

 二人の少女の母親であるウム・ユダさん(39)は、逃げてきたことを後悔していないかという私の質問に驚いていた。「(シリア北西部)イドリブ(Idlib)を後にした日は、家族のために素敵な夕食を作っていた。すべて完璧に食卓の上に準備して」と、料理を思い描くかのように、ほほ笑みながら語った。「そして突然、窓が割れた。最初は何が起きたのか分からなかったけれど、夕食が台無しになったのは一目瞭然だった。食卓はガラスの破片と埃で覆われていた。すべてが破壊されていた」。シリア空軍が隣の建物に樽爆弾を投下した余波だった。「夫と娘たちと一緒にその日のうちに逃げた。夫は逃げたがらなかったけど、娘たちの人生のためにと懇願し、最後は受け入れてくれた」。数週間ぶりに屋外で遊ぶ娘たちの姿を見つめながら、ウム・ユダさんは語った。

 トルコ国境に近いシリアの要衝の町アインアルアラブ(Ain al-Arab、クルド名:コバニ、Kobane)から逃げてきたシリア系クルド人もたくさんいた。コバニでは6月にISによって少なくとも164人の民間人が虐殺された。4人の子供をもつレイラさん(35)は、欧州への密入国を仲介する業者に渡すために、1万ドル(約120万円)の借金をせざるを得なかった。政権側の支配下にあった北部のアレッポ(Aleppo)から徴兵を逃れてきた、マームードさん(26)のような人々もいた。

 一方、コスからアテネ(Athens)への10時間の船旅の途上で私が会ったトニーさんとアララさんは、中部の都市ホムズ(Homs)周辺から逃れてきた。ホムズでは政権側の支配地域に対し、反体制派が砲撃を仕掛けていた。ホムズで美容師として働いていたトニーさんは「欧州に到達できるかどうか分からない。でも人間は希望なしには生きられない。もし何も希望がなければ、私はただ死んでしまうだろう。あなたもそうではないのか?」と私に尋ねた。