■もつれたアイデンティティー

 活動家だったモントーヤカルロットさんの父親のバルミール・モントーヤ(Walmir Montoya)さんと母親のラウラ(Laura Carlotto)さんは、左翼と反体制派を弾圧する軍事政権の「汚い戦争」の中で拉致され、殺害された。

 ラウラさんは1978年6月26日、拘束下でモントーヤカルロットさんを出産した後、まもなく殺された。

 モントーヤカルロットさんは農場労働者のもとで育てられた。軍事政権とつながりがあった農場主から農場労働者に渡されたとみられる。現在モントーヤカルロットさんはミュージシャンとして活躍している。

 彼を育てた人たちには、誘拐の容疑がかけられているが、モントーヤカルロットさんは育ての親を悪くいうことはなく、彼らの裁判からは距離を置いている。

「1年前まで、私は愛する人たちに囲まれて静かな生活を送っていた」と、モントーヤカルロットさんは書いた。彼の祖母は、孫のアイデンティティーを混乱させてしまったことに苦しんできたという。

 モントーヤカルロットさんは実の父親と母親の姓を名乗ることを決めた。だが名前については、実母がつけてくれたギド(Guido)に変えることはしなかった。

 これについて祖母のカルロットさんは地元紙ティエンポ・アルヘンティーノ(Tiempo Argentino)にこう語っている。「私は傷ついて彼に言った。『あなたの母親はギドと名付け、私はギドを捜し続けたのよ』と」

 それでも彼女は孫の選択を受け入れたという。「彼は自分が生きてきた歴史を一度全て失って、新しい人生を見つけた。どうして名前までも捨てることができるでしょう」と、彼女は言う。

 モントーヤカルロットさんは、自分が経験したことは、独裁が終わってから30年以上がたった今もアルゼンチンが苦しんでいるトラウマの一端にすぎないと語る。「私の家族の物語は、この国の物語でもある」と、彼はティエンポ・アルヘンティーノに語った。(c)AFP/Liliana SAMUEL