■空母が誇る「迷路」と「フランス料理」

 それからの空母上での時間は、パイロットや整備士、射出機のオペレーター、甲板の技術者たちへのインタビューに費やされた。1日目、イラクでの作戦のための戦闘機が、空母から飛び立っていった。

 クルーたちは集中していた。緊張していたといったほうがいいかもしれない。誰も軽口をたたく雰囲気ではなく、彼らの頭の中を何がよぎっているのか、推測するのは難しかった。私は何が書けるか悩んだ。だが日が経つにつれ、クルーたちと親しくなり始め、彼らがより自由に話してくれるようになると、記事のアイデアも浮かびだした。

 私も彼らの一員になれたのだろうか。少なくとも方向感覚については、まだまだだった。小さなプレスルームは7階のデッキにあったが、そこから私に割り当てられた「38号室」にはどうやって行けばいいのか?私の部屋は反対側の一番下だといわれた。つまり6階分を下りて、「110メートル・ハードル」と呼ばれる最長の舷門(げんもん)を通らなければならなかった。時間は午前1時。「38号室」への私の旅が始まった。

 予期したとおり、私は艦内で完全に迷ってしまった。誰に助けを求めればいいのか。最後の戦闘機は真夜中過ぎに帰艦しており、空母内の2000人はすっかり眠りについてしまったように思えた。だが恐れることはなかった。シャルル・ド・ゴールは一つの大きな家族のようなものだ。夜中でも必ず、任務を終えたばかりの誰かに出くわして教えてもらえる。「制服」を着ていたにもかかわらず、私が「新米」なのは一目瞭然だった。親切なパイロットのおかげで、私はようやく「0階」にある窓も空調もない(見た限りでは)自室にたどり着き、真隣で響いているタービンの騒音も気にせず、閉所恐怖症も忘れて眠りについた。

 翌朝8時、食堂はにぎやかだった。焼きたてのパンにジャム、ヨーグルト。すべてフランスから取り寄せたもので、家庭的で温かい味だった。艦内での食事はすべてバランスが考えられており、種類も豊富でおいしかった。シャルル・ド・ゴールは食事に関して超真剣だ。食事はクルーたちの間でもよく話題になる。温かいクロワッサンが出された日もあったし、果物や野菜はその日の朝に中東の庭で収穫してきたかのように、信じられないほど新鮮だった。

 湾岸地域に駐留している米軍の海兵隊員に「フランスの」空母の特長は何かと尋ねれば、その答えは満場一致で食事だ。すぐ近くで作戦についている米軍の空母カール・ビンソン(USS Carl Vinson)とは比べ物にならない。シャルル・ド・ゴールで食事をした米海軍のある大将は大声で「フランス料理は武器だ!」と叫んだという。