■「アドレナリン中毒」の側面も

 エムワジ容疑者が、当局によって渡航を阻止されテロ監視リストに入れられたとCAGEに電子メールで告げてきたのは、10年7月の2度目のロンドン訪問からクウェートへ戻ろうとした際だった。

 英メディアが公開した裁判記録では、エムワジ容疑者はアルシャバーブが当初訓練したとされる「ロンドン・ボーイズ」と呼ばれる過激派ネットワークとのつながりが指摘されていた。英紙ガーディアン(Guardian)はまた、後にアルシャバーブの幹部になったものの2012年1月の米軍無人機攻撃で殺害されたビラル・ベルジャウィ(Bilal al-Berjawi)容疑者とエムワジ容疑者が関わっていたとも報じている。

  CAGEによれば、その後、「モハメド・アヤン(Mohammed al-Ayan)」と改名したエムワジ容疑者の消息は、13年初頭にクウェートに入国できなかったところで途絶えている。警察は家族に対し、容疑者はシリアへ向かったとみられると伝えたという。

 エムワジ容疑者がどのようにして世界で最も悪名の高い人物の一人になったのかは謎だが、ISの拠点であるシリア北部ラッカ(Raqa)で同容疑者に囚われていたある人質は、容疑者のことを「冷血かつ残虐で無慈悲な」殺人者と表現している。

 シリアの病院に友人らを見舞ったエムワジ容疑者に会ったという英国人研修医2人は、エムワジ容疑者を「物静かだったが、一種のアドレナリン中毒だった」と描写している。