【1月13日 AFP】ふさふさした口ひげがトレードマークのダン・バハドゥル・ゴレさん(92)は、かつてネパールに存在した「車の運搬人」という仕事に携わった最後の生存者といわれている。同国を専制支配した裕福なラナ(Rana)家のために、徒歩で急峻な山を越えて高級車を運ぶ仕事だった。

 ヒマラヤ(Himalaya)山脈が連なるネパールに初の幹線道路ができる1956年まで、舗装された道路が存在するのは首都カトマンズ(Kathmandu)市内だけだった。このため、1951年まで代々宰相として同国を支配していたラナ家に自動車を届けるには、運搬人たちが人力で運ぶ以外に方法がなかったのだ。

 ゴレさんは20歳のときに運搬人として働き始めるまで、自動車というものを耳にしたこともなかったし、ましてや目にしたこともなかった。1922年にゴレさんが生まれたチトラン(Chitlang)村は、カトマンズから16キロしか離れていないが、車が通るようになったのはここ10年ほどの話だ。

 村の自宅でAFPの取材に応じたゴレさんによれば、ゴレさんの父親は農業を営むと同時に、ラナ家の代理として徴税の仕事を担っていたが「お金を持っていたということはなかった。税金はラナ家が全て持っていったから、農業だけが食べていく手段だった」という。

 対照的にラナ家は、メルセデス(Mercedes)やフォード(Ford)社製の自動車に大金をはたくばかりか、インドから山々を越えて自動車を運ばせるために数十人の運搬人を雇っていた。

 高級車に対するラナ家の愛着はよく知られており、1939年にはナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)が、勇猛果敢で知られるネパールのグルカ(Gurkha)兵を第2次世界大戦の局外に留め置こうと、当時のネパールの宰相ジュッダ・シャムセル・ジャン・バハドゥール(Juddha Shumsher Jung Bahadur Rana)にメルセデス・ベンツ(Mercedes-Benz)の自動車を贈って懐柔したこともある。