【7月28日 AFP】スイスの刃物メーカー「ビクトリノックス(Victorinox)」が初めてスイス陸軍にアーミーナイフを納入してから125年が経過するが、銃の照準を合わせる、チーズを切る、缶を開けるなどの用途のほか、現在では「都会のジャングル」向けの機能を付加することも余義なくされている。

 スイスアルプス(Alpine)の懐深くにあるビクトリノックス。創業者カール・エルズナー(Karl Elsener)の子孫が営むこの会社は、ブレードやコルク抜き、ペンチ、スクリュードライバー以外にも実に100種類以上ものパーツを開発しているが、このなかにはUSBメモリーやコンピューター修理ツールなどの「サイバーツール」も含まれている。

 現在の社長であるカール・エルズナー・ジュニア(Carl Elsener Jr.)氏は、ビジネスプレゼンテーション用のBluetooth対応リモートコントローラーや、メモリーに保存されたデータを保護するための指紋認識機能をも視野に入れている。

 エルズナー・ジュニア氏は、今年創業125周年を迎えた同社は、スイスの伝説ともなったアーミーナイフの開発に「多くの魂」を注ぎ込んできたと自負する。「スイスのアーミーナイフは北極、南極、アマゾン(Amazon)、エベレスト(Mount Everest)などの数多くの探検に採用され、信頼性の高さが実証されてきた。スペースシャトルのクルーたちの公式装備品にも含まれている。また、歴代の米国大統領たちは、ホワイトハウス(White House)を訪れた要人たちにこのナイフをプレゼントしていたんだ」

 また、フィリピン上空の旅客機内で、このナイフを使った緊急の気管切開術が行われたこともあると、自慢げに語った。

■ポケットナイフ登場の歴史

 ビクトリノックス社本社に近いシュヴィーツ(Schwyz)のスイス国立博物館(Swiss National Museum)では現在、ポケットナイフが「道具から象徴へ」進化した過程を振り返る展覧会が開催されている。

 欧州で最初に登場した多目的ナイフは、木を切る、イノシシを去勢する、羽をむしる、じゃがいも袋を縫い合わせるといった機能を組み合わせたものだった。

 イタリアでは、派手な装飾がほどこされた小型の折りたたみナイフは別名「coltello d'amore(愛のナイフ)」と呼ばれ、将来の夫に「浮気をするな」の一種の警告として、婚約時にプレゼントするというしきたりがあった。このナイフは実際、夫婦の寝室の天井に吊るされていたという。

 これに現実的かつ実務的な価値を見いだしたのが、カール・エルズナーだった。スイス、フランス、ドイツでナイフ作りの技術を学んだあと、1884年に故郷のイーバッハ(Ibach)村で、ビクトリノックス社の前身となるナイフ製作所を開く。

 スイス陸軍はちょうどそのころ、徴集兵に対し、ライフル銃の保守や缶詰を開けることも可能なナイフを装備させたいと考えていた。

■「9.11」で大打撃

 同社は現在、極東地域で作られる価格の安いアーミーナイフの脅威にさらされているが、創業者のカール・エルズナーは当時、スイス軍がナイフを隣国ドイツから購入するのを慣例としていたことを苦々しく感じていた。

 そこでエルズナーは地元の刃物職人たちに呼びかけてポケットナイフを共同で製作。大きくて重い従来のナイフを軽量かつエレガントなデザインにし、さらにコルク抜きなどの新機能も加えた。こうした努力が実って1891年、「ソルジャーナイフ」はスイス陸軍に初めて納入される。 

 1897年には、6つの機能が付いた、角が丸く本体にスイス国旗があしらわれた「オフィサーナイフ」にたどりつく。「アーミーナイフの歴史はソルジャーナイフから始まったが、カルト的人気を呼んだのはこのオフィサーナイフだった」と、展覧会の関係者は説明する。

 このナイフを国際的に広めたのが、第二次大戦時に欧州に派遣された米兵たちだった。この米兵たちは戦後、本国へ引き揚げる際に駐屯地の売店でオフィサーナイフを購入し、故郷の親せきや友人たちへのおみやげにしたのだ。

 米兵たちは製品名「Schweizeroffiziersmesser」を発音できなかったため、「スイス・アーミーナイフ」と言って渡した。「スイス・アーミー」は現在、商標となっている。

 8年前の2001年、9.11米同時多発テロが発生し、アーミーナイフの全世界における売り上げが激減した。機内へのポケットナイフの持ち込みが禁止されたためだ。同社は生き残りをかけ、さらなる新製品の開発に迫られている。(c)AFP/Peter Capella