【3月31日 AFP】カンボジアの旧ポル・ポト(Pol Pot)政権時代(1975-79年)に起きた大量虐殺を裁くカンボジア特別法廷(Extraordinary Chambers in the Courts of CambodiaECCC)で31日、200万人が殺害されたトゥールスレン(Tuol Sleng)収容所の所長だった元数学教師カン・ケ・イウ(Kaing Guek Eav)被告(通称ドッチ=Duch、66)の公判が開かれた。

「ドッチ」被告は法廷で、200人の虐殺に関する自らの罪を大幅に認め、犠牲者に許しを求めると同時に、自らも極端な共産主義を展開したポル・ポト派幹部の「スケープゴート」で、悪名高い収容所運営の命令に従ったのは、自分の家族を守るのためだったと訴えた。

 トゥールスレン収容所長だったカン・ケ・イウ被告は、「人道に対する罪」とジュネーブ諸条約違反で裁かれている。刑務所「S-21」と呼ばれた同収容所では、1975~1979年の間に約1万5000人が殺害されたとされる。

 カン・ケ・イウ被告は「S21で犯された罪、特にあそこでの拷問と人びとの処刑に対し、わたしには重く大きな責任がある。許されることなら、あの時代を生き抜いた人びと、また残虐に殺害された人びとの遺族に謝罪させていただきたい。心から後悔している」と述べた。

 1999年の逮捕時にはキリスト教に改宗していた同被告はさらに「許しを請うための窓をわたしに与えて欲しいというのが、今現在わたしが懇願することだ」と語った。

 また、自らも犠牲者だという点については「当時はS21に収容されていた人びとの命よりも、自分の家族の命のほうが大事だと思っていた。わたしが下していた命令が罪であることは分かっていたが、党の幹部たちに盾をつくことは決してできなかった」と述べた。(c)AFP/Patrick Falby