【12月25日 AFP】22万人以上が犠牲となった2004年のインド洋大津波から、26日で丸4年が経つ。被災地域の間で復興状況は明暗が分かれ、莫大な援助金のおかげで復興を遂げ繁栄する地域もある一方、荒れ果てたままの地域もある。
 
 インドネシア・アチェ(Aceh)州の漁村、Lam Tutuiでは大津波の後、家屋は1軒も残らず、村民545人中生き残ったのはわずか75人だった。

 しかし、多額の義援金によって、今では多すぎるほどの家が建ち、中にはまだ人が住んでいない新築の家屋もある。村民らは副業として貸し家業を営んでいるほどだ。

 アチェは近郊のニアス(Nias)島とともに、インド洋大津波で最も壊滅的な被害を受けた地域で、犠牲者は16万8000人以上に達した。

 海外や国内から寄せられた援助金は、政府の「アチェ・ニアス復興再建局(BRR)」によると約72億ドル(約6500億円)に上った。うち67億ドル(約6100億円)が復興費に当てられ、住宅12万5000戸、学校、道路や橋などのインフラも再建された。

 めざましい復興ぶりの背景には、援助金の管理を目的として05年4月に設立されたBRRが汚職と無縁だったことに加え、独立派武装組織「自由アチェ運動(Free Aceh MovementGAM)」とインドネシア政府の和平合意も大きく貢献している。

 ただ、復興事業がほぼ完了し、義援金も底を突きつつある現在、アチェが再び貧困や情勢不安に陥るのではないかとの懸念が高まっている。

 現在、同州の失業率は10%だが、復興特需が終われば州経済は減速し、失業率も確実に上昇すると、GAM幹部だったイルワンディ・ユスフ(Irwandi Yusuf)州知事は述べる。失業者の20%が元GAM戦闘員であることから、失業率が上がれば、来年4月の選挙を前に暴力行為に走る元戦闘員が出る恐れもある。

 さらに、BRRによると、同州海岸地帯の村々が援助金で復興を遂げた一方、内戦で荒れた内陸の多くの地域は、復興から取り残されたままだという。(c)AFP/Nurdin Hassan