【12月18日 AFP】インドネシア・パプア(Papua)州の山間、バリエム渓谷(Baliem Valley)沿いにある町ワメナ(Wamena)の「洗車場」は、単に車を洗うだけの無邪気な場所ではない。

 道端には日中からホームレスの若者や少年たちがたむろし、酒を飲みながら、車やバイクの到着を待っている。なかには酔いつぶれて意識を失い、寝転がっている者もいる。

 洗車もわずかの金銭にはなるが、彼らが本当に待っているのは車そのものではなく、ドライバーである。ドライバーとのセックスは、洗車よりも稼ぐことができるのだ。こうした洗車場の出現は、ひと昔前には誰も予想できなかった光景だ。

 深い渓谷によって外部から隔絶されてきた一帯の村には第2次大戦以降、衣服や金属、金銭、医薬品といった数々の「なじみのないもの」が持ち込まれてきた。しかし、この地域の上の世代の男性たちには、いまだに「コテカ」と呼ばれるペニスケースだけを身につけて生活する者も多く、伝統と近代がこれほど激しく衝突している場所はほかにない。

 外部からこの地に初めて訪れたのはキリスト教の伝導師たちで、教会も建てられたが、教会内でのコテカの着用は容認されている。教会を取り囲んでいるのは、伝統的なわらぶき小屋と入り組んだヤムイモの畑だ。

 しかしパプア州は今、1969年に同州を併合したインドネシアから押し寄せる変革の波に、急速に飲み込まれようとしている。

 険しい陸路を避け、バリエム渓谷を超えてやって来るプロペラ機はインフラに必要な物資などのほかに、インドネシア各地からの移住者をもたらす。先住民が大半のパプア州のなかで店を構え、同州のビジネスを牛耳っているのはこうした人々だ。

「発展によって伝統が少しずつ失われている」と、地元の人権活動家(40)はつぶやく。彼の子ども時代の唯一の危険と言えば、いつ起こるとも知れない、盗まれた妻やブタをめぐっての部族間の争いだった。 

■抑圧される先住民たち

 伝統の死滅に伴いパプア州の住民、移住者、インドネシア警察と軍の間での緊張も高まりつつある。

  インドネシア政府は、約1万5000人規模の軍隊を同州に投入し、分離独立派の動きに神経をとがらせており、人権侵害の報告も後を絶たない。外国の記者が同州に立ち入ることも制限されている。今回AFP記者は、国家情報局部員が同行するという条件付きで、同州の取材が許された。

 今年8月9日「世界の先住民の国際デー(International Day of World's Indigenous People)」の祝賀行事の際には、45歳の先住民、オピヌス・タブニ(Opinus Tabuni)さんが、警察か軍隊によるものとみられる発砲により射殺される事件があった。この日、伝統衣装に身を包み、法律で禁止された分離独立派のシンボル「明けの明星」の旗を掲げて行事に参加した数百人の先住民たちに、警官隊が「威嚇発砲」した末の事件だった。

 このときに拘束された40人あまりの先住民たちは、いまだに獄中にある。この旗を示すと、最高終身刑になる可能性もある。ある住民は「人びとはタブニさんの復讐の機会を、虎視眈々と狙っている」と語った。

 人権活動家らは「人種差別が横行している。警察は自分たちや移住者は守るが、パプアの先住民たちには正義が与えられていない」と憤りをあらわにしている。

 草ぶきの小屋の周りを栄養不良の子どもたちが走り回っているクルル(Kurulu)村では、45歳の男性が、同行の国家情報局部員に目をチラチラ向けながら、1970年代後半に繰り広げられた分離独立派と政府軍の激しい戦闘のことを話してくれた。「われわれはいまだに、鉄砲玉が飛んでくるんじゃないかと、恐れています」(c)AFP/Aubrey Belford