【6月15日 AFP】イスラム原理主義組織ハマス(Hamas)による制圧から15日に1年目を迎える、パレスチナ自治区の南北に細く伸びる人口過密地帯ガザ地区(Gaza Strip)。同地区の今を概観する。

■地理
イスラエル南西に位置。南端をエジプトと接し、西に地中海(Mediterranean Sea)を臨む。面積は362平方キロ。

■人口
150万人。地球上で最も人口密度の高い地域の1つ。うち約90万のパレスチナ人は1948年のイスラエル建国により土地を追われ、あるいは自主的に家を捨てた難民で、現在はその子孫も居住する。

■宗教
大部分はイスラム教だがキリスト教も少数存在する。


■歴史
1967年、第3次中東戦争にイスラエルがわずか6日で圧勝し、エジプトからガザ地区を、ヨルダンから東エルサレム(East Jerusalem)とヨルダン川西岸(West Bank)、シリアからゴラン高原(Golan Heights)を奪った。

 以後、約8000人のユダヤ人入植者による入植地がガザ地区の3割を占めたが、2005年8月、当時のアリエル・シャロン(Ariel Sharon)首相の命令により強制退去。

 5か月後の2006年1月、ハマスがパレスチナ評議会(議会)選で圧勝。ハマスは2007年6月にガザ地区を制圧し、穏便派のマフムード・アッバス(Mahmud Abbas)パレスチナ自治政府議長率いるファタハ(Fatah)を追放して実権を握った。

 ハマスをテロ集団と見なすイスラエルはガザ地区に厳しい経済封鎖を課し、ガザ地区の経済は苦境に陥った。同時に、定期的な軍事攻撃を開始。軍事攻撃についてイスラエルは、ガザ地区で活動する武装集団からのロケット弾・追撃砲による攻撃に対処するためと主張している。

 2008年1月、ガザ地区の武装集団がエジプトとの境界壁を爆破。数千人のパレスチナ人が物資を求めてエジプト側に流入したが、壁は数日後に封鎖された。2008年3月初め、ガザ地区周辺で激しい武力衝突が勃発。以後、エジプトがイスラエルとハマスの停戦に向け仲裁役を担った。2008年6月初め、アッバス議長が和解に向けて積極的に動いたことをきっかけに、ハマス側も前向きな姿勢を示している。

■経済
経済はほぼ崩壊状態にあり、人口の大部分が国連(UN)からの食糧支援に頼っている。世界銀行(World Bank)は、イスラエルによる経済封鎖でガザ地区内の企業の96%が立ちゆかなくなったと指摘。農業も輸出ができなくなったことと深刻な燃料不足で深刻な悪影響を受けている。

(c)AFP