【12月19日 AFP】年末を迎えたレバノンは、親シリア派と反シリア派の対立から1か月にわたる大統領の不在状態が続き、政治家や要人の暗殺が相次ぐなど、混迷したまま2008年に突入する。
 
 レバノン内政は2007年の幕開けから、欧米の支持を受ける与党多数派に、親シリアのイスラム教シーア派組織ヒズボラ(神の党、Hezbollah)を中心とする野党が対抗しこう着したままで、15年間続いた内戦(1975年-1990年)終結以来、最悪の政治危機の構図が続いてきた。

■政治混乱を象徴する新大統領選出の失敗

 政局混乱の最たるものが、11月23日に任期満了で退任したエミール・ラフード(Emile Lahoud)大統領の後継となる新大統領選出の失敗だといえる。

 カーネギー中東センター(Carnegie Middle East Center)のPaul Salem所長は、AFPの取材に対し「(ヒズボラの民兵組織とイスラエルとの戦闘があった)2006年は『戦いと紛争』の年だったが、2007年は『膠着と停滞』の年だった」と総括した。

■相次ぐ要人暗殺に内閣退陣要求デモ

 2007年の後半には、要人の暗殺事件が相次いだ。

 反シリア派議員2人の暗殺に続き、12月12日には次期軍司令官候補だったフランソワ・ハッジ(Francois El Hajj)陸軍准将が、自動車爆弾により殺害された。このような形で軍関係者を狙う攻撃は初めてだった。

 レバノン北部のパレスチナ人難民キャンプ内では5月、立てこもったイスラム教スンニ派武装グループ「ファタハ・イスラム(Fatah al-Islam)」に対する政府軍の掃討作戦が開始され、終結まで4か月近くに及んだ。暗殺されたハッジ准将はこの掃討作戦を指揮していた。

 また野党支持者らは、フアド・シニオラ(Fuad Siniora)内閣の退陣を要求し、ほぼ一年を通じて首都ベイルート(Beirut)の街頭を埋め尽くしてデモを続行した。

■経済も危機的状況に

 一方で、レバノン経済も危機的状態にある。にぎわいを取り戻していた観光業も外国人観光客の足が途絶え、高い職業スキルを得た若者たちは職を求めて母国を離れ、湾岸諸国に流出している。

 国際通貨基金(IMF)を筆頭に米格付け機関ムーディーズ・インベスターズ・サービス(Moody’s Investors Service)など各金融機関は、レバノンの格付けをさらに引き下げた。レバノンは、すでに405億ドル(4兆5000億円)の公的負債を抱えている。

 しかし、2007年を総括するにあたり、前述のSalem所長は「明るいニュースはなかったが、少なくとも状況は悪化しているわけではない」と前向きにとらえる。「2007年は目立って良いことはなかったが、再び戦争や紛争に陥ることもなく、国が混乱に陥ることもなかったことは評価できる」(Salem所長)

 Salem所長は、レバノン国民は2つの選択肢を前にしていると語る。レバノン国民は「新大統領を選択して新たな2008年のスタートをきるか、このままもう1年この状態をひきずるか」のいずれかを選ぶ必要があるという。(c)AFP/Jocelyne Zablit