【8月10日 AFP】がん闘病中のイタリア人テノール歌手ルチアーノ・パバロッティ(Luciano Pavarotti、71)が8日、発熱のため北部の都市モデナ(Modena)にあるモデナ大学(Modena University)病院に入院し、現在スタッフが容態を見守っている状態であることが9日、明らかになった。同病院が発表した声明によると、病状に問題はなく数日以内に退院できる見込みだという。モデナはパバロッティの生地。

 パバロッティは1年前にすい臓がんの手術を受けた後、コンサートをすべてキャンセル。二度と舞台に立てないのではないかと復帰を不安視する声も上がっていたが、妻のニコレッタ・マントバーニ(Nicoletta Mantovani)さんは7月、パバロッティが活動を続け新しいCDを間もなくリリースすると発表。さらにパバロッティがキャンセルしたコンサートの再開も考えていたとも語っていた。

 パバロッティが初めて世界の注目を集めたのは、1961年にある大会で優勝したときだった。これをきっかけに、レッジョ・ネレミリア(Reggio Emilia)で公演されたジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini)の『ラ・ボエーム(La Boheme)』でロドルフォ(Rodolphe)の役に抜擢された。

 その後、欧州全土で活動を展開。1965年2月には渡米し、フロリダ(Florida)州マイアミ(Miami)でジョーン・サザーランド(Joan Sutherland)と共にガエターノ・ドニゼッティ(Gaetano Donizetti)の『ルチア(Lucia di Lammermoor)』に出演した。

 テノール歌手として絶頂期を迎えたのは、1972年2月、ロンドンのコベントガーデン(Covent Garden)、およびニューヨークのメトロポリタン・オペラ(Metropolitan Opera)で、ドニゼッティの『連帯の娘(La Fille du Regiment)』にサザーランドと共演した頃とされている。

 オペラのみにとどまらず、ポップミュージシャンなどと、さまざまなライブコンサートにも出演。1991年には、チャールズ皇太子(Prince Charles)とダイアナ妃(Princess Diana)夫妻を含む観客15万人を前に、ロンドンのハイドパーク(Hyde Park)で歌声を披露した。

 1990年、イタリアで開催されたサッカーW杯では、パバロッティが歌うアリアの曲がテーマソングに選ばれ、さらに世界の注目を集めた。この時選ばれたのは、プッチーニのオペラ『トゥーランドット(Turandot)』の『誰も寝てはならぬ(Nessun Dorma)』。

 近年では、ホセ・カラーレス(Jose Carreras)、プラシド・ドミンゴ(Placido Domingo)と共に3大テノールとして活動するほか、モデナで例年『パバロッティと仲間たち(Pavarotti and Friends)』と題したチャリティー・コンサートを開催するなどしていた。(c)AFP