【ロサンゼルス/米国 25日 AFP】第79回アカデミー賞(The 79th Academy Awards)作品賞は、アクション・サスペンス映画「ディパーテッド(The Departed)」が受賞、監督賞も同作のマーティン・スコセッシ(Martin Scorsese)監督が受賞した。

 6年目にしてようやくオスカー像を手にした64歳のマーティン・スコセッシ(Martin Scorsese)監督は長年の夢が叶い、満面の笑みを見せた。

「本当に感動しています。デビューした37年前と同じ気持ちです」。


■ アカデミー賞は「敗北」の歴史?

 率直な思いを表した同監督はこれまでにも「レイジング・ブル(Raging Bull、1980)」や「タクシードライバー(Taxi Driver、1976)」、「グッドフェローズ(Goodfellas、1990)」などの作品を手掛けてきた。
 「グッドフェローズ」、「最後の誘惑(The Last Temptation of Christ、1988)」、「アビエイター(The Aviator、2004)」でノミネートを受けるものの、受賞には至らなかった。


 しかしながら、同監督は繰り返される敗北について、常に哲学を持ち続けてきた。1つの作品でオスカーという「見返り」を受けることと、監督として一連の功績を評価されることの正当性について自問しながら。

 あるインタビューでは「同情で受賞者を選ぶ必要はないんですよ。でも過去にはそういう人もいましたけどね」と語っている。

 同監督は、1991年に「グッドフェローズ」が「ダンス・ウィズ・ウルブズ(Dances with Wolves)」に勝てず、受賞を逃して以来、「私にとって一番大切なのは“自分の仕事をすること”だと言い続けてきました」と語る。

「『レイジング・ブル』や『グッドフェローズ』が成功したかと聞かれたら、アカデミー賞を受賞していなかったから成功作ではなかったと答えるでしょう。そして『もちろん、アカデミー賞受賞は私にとって重要なのです。』と言っていたでしょうね。どちらにしても、私は導かれてここまで来たのです」。


■ 運動のかわりに「映画」

 1942年11月17日にニューヨークで生まれたスコセッシは、労働者階級の家庭で育った。深刻な喘息に悩まされた少年時代、同年代の少年たちのように運動することができず、そのかわり、映画に没頭した。

 司祭になるべく進んだカトリックの神学校を1年で辞め、その後ニューヨーク大学の映画専攻学科に入学した。

 その後いくつかの短編映画を撮りながら、米国のカンボジア介入に抵抗する学生について描いた作品を含む2つの大作を手掛けた。1973年に「ミーン・ストリート(Mean Streets)」で、家庭内暴力と犯罪の蔓延するニューヨークのリトル・イタリー(Littel Italy)での生活を描き、一躍頭角を現わした。

 暴力的なアクションと下品な言葉遣いが話題を呼んだこの作品は、監督お気に入りの俳優ロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro)とハーヴェイ・カイテル(Harvey Keitel)が主演した。

 デ・ニーロは同監督がメガホンを取った8本の映画に出演している。中でもベトナム戦争下の米国社会に怒りを覚えるタクシーの運転手を演じた「タクシードライバー」は“アメリカン・ニュー・シネマ”の先駆けとなり話題を呼んだ。


■ カンヌ国際映画祭の栄光と…

 スコセッシ監督は同作品で1976年カンヌ国際映画祭のパルム・ドール(Palme d’Or)を受賞。しかしその後、この映画がジョン・ヒンクリー(John Hinckley)によるロナルド・レーガン(Ronaldo Reagan)元大統領暗殺事件の契機となったとも言われている。

 その翌年デ・ニーロとライザ・ミネリ(Liza Minelli)が出演した「ニューヨーク、ニューヨーク(New York,New York)」は不評を買った。


 しかし1980年には、ミドル級ボクサー、ジェイク・ラモッタ(Jake LaMotta)の実話を描いた「レイジング・ブル」が絶賛される。この作品で主役を演じたデ・ニーロはアカデミー賞で主演男優賞を、セルマ・スクーンメイカー(Thelma Schoonmaker)は脚本賞を受賞したものの、監督賞の受賞は果たせなかった。


■ 「不遇」の時期

 その後、監督にとって1980年代は不遇の時期であった。デ・ニーロがジェリー・ルイスのストーカーに扮した作品「キング・オブ・コメディ (The King of Comedy、1983) 、コメディ映画「アフター・アワーズ (After Hours、1985)」、ロバート・ロッセン(Robert Rossen)監督作品の続編「ハスラー2 (The Color of Money1986)」ではいずれも高い評価を得られなかった。

 1988年、米国議会を描いたニコス・カザンザキス(Nikos Kazantazaki)の小説を基に、物議を醸した作品「最後の誘惑(The Last Temptation of Christ)」を発表。アカデミー賞監督部門でノミネートされるものの、またもや受賞を逃した。

 1990年には、デ・ニーロ、ジョー・ペシ(Joe Pesci)演じる「グッドフェローズ」がアカデミー賞にノミネートされ、ヴェネチア映画祭(Venice Film Festival)では最優秀監督賞を受賞した。

 1990年代にはまた、イーディス・ウォートン(Edith Wharton)の小説を映画化した「エイジ・オブ・イノセンス -汚れなき情事-(The Age of Innocence、1993)」、ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世の半生に光を当てた「クンドゥン(Kundun、1997)」を手掛けている。


■ 遠かった「アカデミー監督賞」

 2000年に入ってからは、「ギャング・オブ・ニューヨーク(Gangs of New York、2002)」で合計10部門にノミネートされるものの、悲願の監督賞には手が届かなかった。

 同様に、2004年には実業家ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の波乱に満ちた半生を描いたレオナルド・ディカプリオ(Leonardo DiCaprio)主演の「アビエイター(The Aviator)」 でも監督賞にノミネートされるが、「ミリオンダラー・ベイビー(Million Dollar Baby)」のクリント・イーストウッド(Clint Eastwood)監督の前に屈した。

 今回、ついに同監督お得意の「忠誠、裏切り、悪党の自尊心」といったテーマを盛り込んだ「ディパーテッド」で念願の監督賞を受賞した。

 写真は同日、プレスルームでオスカーを手に撮影に応じるスコセッシ監督。(c)AFP/Robyn BECK