【6月5日 AFP】オーストラリアの都市シドニー(Sydney)で最年長の女性バーテンダー、リル・マイルズ(Lil Miles)さん(91)は酒は飲まないが、家族で切り盛りするウールルームールー(Woolloomooloo)地区のベルズ・ホテル(Bells Hotel)で40年を経た現在も、疲れを見せずにビールを注いでいる。

 金離れがいい船員や港湾労働者たちでこのホテルがにぎわっていた1970年代の荒っぽい時代から、シドニーのパブ業界はすっかり様変わりした。しかし「ずっと働くわよ」と、曽孫(ひまご)もいる小柄なマイルズさんは語った。

 最近のウールルームールー地区は、湾岸の高級レストランやカフェで有名だ。埠頭の労働者たちが姿を消し、店に立ち寄る観光客も減少する中、かつては混み合ったカウンターが生み出していた売り上げは、デジタル化したスロットマシンが若干もたらしているに過ぎない。

 70年代には都心の労働者階級地区周辺で多くの家屋がもぬけの殻となり、放置された一方で、埠頭に近いガーデンアイランド海軍基地(Garden Island Naval Base)やナイトクラブが集中するキングスクロス(Kings Cross)は治安の悪い界隈だった。

 柄が悪い場所だったのかと聞くと、アイルランド生まれのマイルズさんは「ええ、すごく」と答え、喜びも悲しみも味わったこのホテルでの日々を振り返った。

 マイルズさんが今は亡き夫のジョンさんとベルズ・ホテルの経営を引き継いだのは1973年。子ども6人と共に上の階に住み込んだ。向かいにあるウールルームールー・ベイ・ホテル(Woolloomooloo Bay Hotel)はじめライバルが集まるパブの激戦区という土地柄、夫婦は生計を立てるため懸命に働いた。

 当時は店長同士が知り合いで仲も良かった。「初めてここに来た頃にはグラスを借りていたし、よそにもグラスを貸した。きれいにして返してもらえなかった時には怒ったものよ」とマイルズさんは語る。景気の悪い時には市内のビール会社を訪れ、ビール樽の値段をしばらく下げてもらえるよう交渉した。断られたことは一度もなかった。

■港町の変遷を目にしながら

 70年代はシドニーが激変した時代だ。欧州からの初めての入植者が住み着いたロックス(Rocks)やウールルームールーなど、植民地時代の町並みが残っていた歴史地区の再開発計画をめぐり不動産デベロッパーと、地元の活動家や労組関係者らが激しく対立した。

 デベロッパー側は、一帯に集中していた低所得労働者たちの住宅を撤去し、跡地に高層オフィスビルを建設する方向で長年検討していた。家主が改修を控えたため住宅は荒れ、居住者は次第に立ち退いていった。
 
 ウールルームールー地区は高層ビル建設は逃れたものの、他の土地にコンテナ港やクルーズ船用施設、空港が新設されて労働者が移動したことを背景に、埠頭の稼働率は低下。巨大な波止場、フィンガー・ワーフ(Finger Wharf)は10年近く見捨てられ、荒廃するままだった。

 しかし90年代に入って町並みの保存が始まり、しゃれたデザインのホテルや飲食店、ハリウッド俳優ラッセル・クロウ(Russell Crowe)ら著名人も住む高級集合住宅などを含めた再開発が進んだ。

 だが、マイルズさんの日々は必ずしも楽にはならなかった。何よりも2004年に息子の1人、シェーンさんを失った悲しみは耐え難かった。シェーンさんは非番の日に呼ばれて店を手伝っている最中、客のけんかに巻き込まれて頭を椅子で殴られ、亡くなったのだった。立地とは裏腹に、粗暴どころか「都会にある田舎のパブ」と呼ばれていた店にとっても衝撃だった。

 時代の変化を目の当たりにしてきたマイルズさんだが、良いバーテンダーのあり方はそれほど変わっていないと語る。「聞き上手でないとだめね。年がいった連中はみんな、心の痛みについて話すから」とマイルズさんは笑う。「本当に大変な仕事よ」

 ビリヤード台からお金を集めたり、混み合う昼時用のサンドイッチを作るなど「他の人がやりたがらない仕事」をしていると語るマイルズさんだが「みんなが注文を受けたら、ビールを注ぐのはわたしの役目」と誇らしげに言う。「これまでの一瞬一瞬を楽しんできた。最高の人生ね」(c)AFP/Madeleine Coorey