【8月14日 AFP】対立関係にあるインドとパキスタンは今週、それぞれ独立65年を迎える。そんな中、パキスタンに何年も足止めされている、耳が不自由で口の利けないインド人女性が願うことはただ1つ――故郷に戻り家族にどうやったら会えるのか、ということだ。

 21歳になるギータさんは、13年前、インドから国境を越えてパキスタン東部のラホール(Lahore)へ向かう列車の中で、混乱した状態で1人で座っているところを警察官に発見された。

 保護者が見つからなかったことから、警察官はギータさんを同国最大の慈善団体、エディー財団(Edhi Foundation)の施設に連れて行った。

 ギータさんは、インドに戻りたい一心で施設から何度も脱走した。だが、家族の住む場所がわからないギータさんにはどうすることもできなかった。

 そして現在、インドとパキスタンの両当局合同でのギータさんの両親捜しを求める活動が始まった。

■迷い込んだインドの少女

「彼女にとってはシンプルなことなのです」と、ギータさんの面倒を見るBilqees Edhiさんは、孤児院兼病院の建物の中の小さな部屋で、AFPの取材に語った。

「彼女はここを出ればすぐにインドに行けると考えている。家族に本当に会いたいと思っている。けれど彼女は、インドに暮らしていたということしか覚えていない。それ以外のことは何もわからないのです」

 保護後しばらくの間、ギータさんはラホールの施設に暮らし、エディー財団が両親の捜索にあたった。だが、成果の出ないまま年月が過ぎた。ギータさんは何度も施設から脱走したり、スタッフと衝突するようになり、ギータさんと良い関係だったBilqeesさんが6か月前、カラチ(Karachi)の自宅にギータさんを招き入れた。

 小柄で細い体のギータさんは、独自の手話を使う。また、ヒンディー語で「インド、兄弟が7人、姉妹は3人」と書くことができる。年長者に対しては足に触れた上でナマステの動作をする、ヒンズー文化の作法を用いる。

 ギータさんは手話を使って、ある日、両親に叱られることに嫌気が差して家を飛び出し、そのまま何時間も歩き続けたと語った。

「それから、私は電車に乗って、眠った」

■両親の捜索は続く

 ギータさんは、母親に「Guddi」と呼ばれていたという。これはウルドゥー語とパンジャブ語で「お人形」を意味する単語だ。また、自宅の脇には川が流れ、病院とレストランの裏手にある住宅は野原にあったという。

「でもこれだけでは、どこの村や町でもおかしくない。このような場所はいっぱいある」と、Bilqeesさんは、いら立ち交じりのため息をつく。

 パキスタンにインドの子どもが迷い込むことは過去にもあったが、いずれも親元に無事帰ることが出来ている。

 ギータさんの問題は、パキスタンの有力人権団体「パキスタン人権委員会(Human Rights Commission of Pakistan)」のZohra Yusuf会長がインド高等弁務官事務所に持ち込み、さらにインドメディアに両親捜索の協力を要請した。

■「すぐにでも帰りたい」と願う日々

 ギータさんは現在、小さなテレビでインドのドラマ番組を見たり、イスラム教の断食月「ラマダン(Ramadan)」の様子を眺めたりして過ごしている。また、Bilqeesさんの自宅のベランダの隅に設けた小さなヒンズー教の寺院で、祈りを捧げている。

「彼女はあそこで祈りを捧げてから、私たちの断食の仲間入りをする」とBilqeesさんは語る。

 ギータさんは指で唇と耳に触れ、きょうだいたちは耳が不自由でないことを表現する。それから少し悲しそうな笑顔を浮かべ、空を見上げて、飛行機の形にした腕をゆっくりと伸ばす。

「すぐにでも家に帰りたいって彼女は言ってるんだよ」と、孤児院に暮らす10代のイスマットさんが言葉を挟んだ。(c)AFP/Hasan Mansoor