【12月12日 AFP】米軍駐留が8年以上に及んだイラクでは、凶悪な暴力と再建への断続的な取り組みが繰り返されてきた。その一方で2003年のイラク戦争はこの国に「創造的無秩序(クリエイティブ・アナーキー)」を生み出したと指摘する声がある。

 若いラップ・ミュージシャンの動画がインターネットで人気を集め、金曜日にドライバーたちが集まってドーナツターンを披露する2011年のイラクは、文化面では多くの点でサダム・フセイン(Saddam Hussein)元大統領当時の体制末期とは大きく異なっている。

「米国人たちは、彼らから何かもらったと感謝することができるような、物質的な記念碑をちゃんと残していかなかった」と、バグダッド大学(University of Baghdad)のハミド・ファデル(Hamid Fadhel)教授(政治学)は語る。「彼らが残して行ったものといえば、この創造的無秩序だけだ」

 ドゥーラグに黒いTシャツとジーンズを着て、大きなネックレスを首にかけた若きラッパーDr Coooonyは嘆く。「道路は血に染まっている/俺たちは分断されている」「なぜイラク人は無為に生き/明日への希望を持てないのか」「歴史あるイラク、かつてその名を呼ぶと/他の国々は震え上がったのに」

 Dr Coooonyの出現は、フセイン大統領によるクウェート侵攻(1990)を機に経済制裁を受けたイラクが、再び世界に開かれた後に生じた文化的な変化を示すほんの一例だ。

■世界に開かれたイラク

「新車を買うのが夢だったし、職場にテレビがあるのはうれしかった」と、元パイロットのサラム(Salam)さん(48)は経済制裁当時を振り返る。2003年以前のイラクでテレビといえば、アニメとスポーツ、それにプロパガンダ映画だけだった。それが今では、豊富な衛星放送によって多くのチャンネルを視聴できる。

 イラクで携帯電話やテレビの衛星放送受信機、自動車を買い、自由にインターネットにアクセスできるようになったのはイラク戦争後のことだ。

 バグダッドのムッタナビ(Muttanabi)では金曜日に書籍市が開かれる。書店主たちは手に入る本の幅が広がっただけでなく、読者の好みも変わってきたと言う。

 戦争前は、フセイン元大統領をたたえるアラビア語の本が大半を占め、それ以外はわずかに英語やフランス語、ドイツ語の小説と、コピーして作られた大学の教科書があるくらいだった。

 だがフセイン体制崩壊後は、「売れた本の大半は宗教関係だった。特に禁止されていた(イスラム教)シーア派の本が売れた」と、書籍販売者のシャーラン・ザイダン(Shaalan Zaidan)さん(50)は語る。スンニ派が権力を独占したフセイン政権が崩壊し、今の政権はシーア派が主導している。

「書籍市は世界に門戸を開いた。そして読者は英語の学習書やハリー・ポッター(Harry Potter)やトワイライト(Twilight)などの西洋の小説を求めるようになった」(シャーラン・ザイダンさん)

■新鮮な文化吸収する若者たち

  金曜日には毎週、バグダッド大学で自動車ショーが行われる。若者たちが集まり、ドライバーたちはドリフト走行やドーナツターン、バーンアウトなど運転の腕前を披露する。

 フセイン政権転覆後に米当局が車の輸入関税を下げたため、イラク国内を走る車は台数もその種類も大幅に増えた。

 米国風のファストフードチェーンはまだ展開していないが、「ハッピー・マクドナルド(Happy McDonald)」というハンバーガー店や、米国のファストフードチェーンと1文字違いのピザ・ハット(Pizza Hat)という店がすでに現れている。

 一方、バグダッド大では、学生のモハメド・ハミド(Mohammed Hamid)さん(21)が、キャンパスを横切りながらMP3携帯音楽プレーヤーで英語の曲を聴き、歌詞を口ずさんでいた。

 黒Tシャツにだぶだぶのジーンズ、白いスニーカーという姿のハミドさんは「米国人はわたしたちにスタイルとテクノロジーの変化をもたらした」と話す。「でも、その代償は大きかったね」(c)AFP/Mohamad Ali Harissi