【8月31日 AFP】クエンティン・タランティーノ(Quentin Tarantino)監督の最新作『イングロリアス・バスターズ(Inglourious Basterds)』で描かれている、ユダヤ人部隊が第2次世界大戦中にナチス(Nazis)ドイツ兵を惨殺するというストーリーは、映画の中だけの話ではない。

 事実、終戦直後のオーストリアで、ナチス親衛隊を追跡し殺害したユダヤ人部隊「Nakam(ヘブライ語で復しゅうの意味)」があった。この部隊の最後の生存者Chaim Millerさん(88)が当時の様子を語った。

「戦争が終わった数日後にオーストリア南部で活動した」。エルサレム(Jerusalem)近郊のキブツに暮らし、AFPの電話インタビューに応じたMillerさんはこう語り始めた。

「我々はオーストリア国境に近いイタリア・タルビジオ(Tarvisio)に駐留する英陸軍のユダヤ人旅団の兵士だった。ユーゴスラビアの同志からナチス関係者の名前が載ったリストをもらい、3人のグループに分かれて彼らを追った」

「彼らは、最初は英国の憲兵だと思っていたが、その後我々がダビデの星を見せると衝撃を受けていた。でも、そのときにはもう遅すぎたんだ」

「我々は彼らをイタリア側の森の中に連行し、30分間『審問』したあと、償いをしてもらうと説明した。彼らは、永遠に森の中さ」

「こういった事を何度もやった。ほかにも同様の作戦を行ったグループがいくつかあった」

■「復しゅうという願望に突き動かされた」

 後にイスラエル陸軍参謀長となるハイム・ラスコフ(Chaim Laskov)氏の下に行われたこの作戦で殺害されたナチス関係者の人数については、歴史家の間では意見が分かれているが、100~300人ではないかと言われている。

 1921年、オーストリア・ウィーン(Vienna)の労働者階級に生まれたMillerさんは、ナチスがオーストリアを併合したあと、1939年2月にパレスチナに移住。両親はウィーンに残ったため、ホロコーストの犠牲となった。

 Millerさんはパレスチナ地方でユダヤ人の民兵組織ハガナー(Haganah)や、アーリア人の容姿でドイツ語を話す40人のユダヤ人で構成された「ドイツ小隊」に参加した。「ドイツ小隊」は、ナチス・ドイツがパレスチナを併合する恐れが出れば、ドイツ領内に潜入し活動する予定だった。

「準備として、我々は武器や制服を合わせたのはもちろんのこと、ドイツ兵の砂漠での訓練を受け、ドイツ国防軍の歌も習得した」とMillerさんは語る。

 エルヴィン・ロンメル(Erwin Rommel)が1942年8月の戦いで敗北したことで、作戦は廃れた。しかし、「ドイツ小隊」は英国陸軍のユダヤ人旅団に組み込まれ、その兵士のほとんどが「Nakam」作戦に従事した。

「我々は復しゅうという願望に突き動かされた。ナチス親衛隊の犯罪者の大多数が裁判にかけられることはないと知っていた」(Millerさん)

 ウィーンの歴史家Winfried Garscha氏は、「ナチスの犯罪者で戦後、オーストリア、イタリア、ドイツで処刑されたのは、せいぜい10~15%だろう」という。

 復しゅう劇のうわさが流れると、英国の参謀本部はユダヤ人旅団をオランダへと移転させた。(c)AFP/Philippe Schwab