【3月10日 AFP】中国チベット(Tibet)自治区で1959年3月に起きたチベット動乱は中国軍に制圧され、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世はチベットを脱出してインドに亡命した。

 当時の闘争に参加していた元戦闘員のラトゥ・ガワン(Ratu Ngawang)さん(83)は今、インド北部ニューデリー(New Delhi)の自宅で、ダライ・ラマの逃避行に護衛役として同行した50年前を振り返る。

「わたしの任務は、ダライ・ラマが野宿する場所や周辺地域に先回りして、中国兵がいないよう安全を確認することだった」(ガワンさん)

 ガワンさんは、チベット人たちが生存をかけて戦った日々を、刺激と暴力に満ち、肉体的にも過酷だったと振り返る。「多くの中国兵を殺したが後悔はしていない。わたしは経験豊富な兵士だったし、戦いを恐れることはなかった。われわれはダライ・ラマを守るために戦い、死ぬ覚悟も出来ていた。仲間も多くが命を落とした」

 ガワンさんはこのほど、自身の半生に関する伝記を出版したばかりだ。伝記には、チベットでの闘争時代、インドでの亡命生活や、チベットでの抵抗運動をインドから支援してきたことなどが語られている。

「50年も祖国から離れることを強いられて、私は悲しい人生をおくってきた。しかしわたしが心配しているのはチベットにいる同胞の暮らしとダライ・ラマの帰還が実現するのかということだけだ」(ガワンさん)

 ガワンさんの伝記は写真も豊富だ。中には、ガワンさんや仲間のチベット人戦闘員らが中国人民軍から奪った武器を手にしたものや、亡命前にダライ・ラマと共にウマに乗って旅をするガワンさんの写真などもある。

 チベットの武装蜂起から50周年となる10日、ガワンさんらが暮らす亡命チベット人居住区でも、記念式典と祈祷が行われる。

 ガワンさんとダライ・ラマは離れて暮らしているが、現在も連絡は欠かさないという。「今は息子のテンジン・ガワ(Tenzin Gawa)がダライ・ラマの護衛を務めている。もちろん、非常に光栄なことだ」。(c)AFP/Ben Sheppard