【11月24日 AFP】イスラエルの考古学チームは23日、エルサレム(Jerusalem)旧市街の「嘆きの壁」付近で銅貨2枚が見つかり、壁の建設をめぐる定説に疑問が生じたと発表した。

 イスラエルでは「西の壁(Western Wall)」と呼ばれる嘆きの壁は、西暦70年にローマ人に破壊された第二神殿(Second Temple)の壁の一部。神殿も壁もヘロデ王(King Herod)の命で建設され、ヘロデ王が死去した紀元前4年頃までに全体が完成したとする説が、これまでの主流だった。

 ところが今回、ヘロデ王の死去から約20年後の西暦15年頃に鋳造された銅貨が、西の壁の底部にあったユダヤ教徒の儀式用の清めの風呂「ミクヴェ」の中で発見された。ミクヴェは隙間が全て埋められ、壁の一部はこの上に直接建てられており、硬貨は半分が壁の土台の下敷きになっていた。

 調査を率いたハイファ大(Haifa University)のロニー・レイヒ(Ronny Reich)教授は、この発見について、ヘロデ王の時代にこの部分の壁はまだ建設されていなかったこと、壁の建設にかかった年月もこれまでの推定より長く、40年以上を要したことを示していると説明した。

「ヘロデ王は治世18年目の紀元前22年頃に建設を始めた。今回見つかった銅貨の年代は早くて西暦15年頃なので、完成までに少なくとも40年はかかっている」

 なお、ミクヴェと銅貨は、西の壁と隣接するアルアクサ・モスク(Al-Aqsa)の付近から旧市街の壁の地下を通って東エルサレムのシルワン(Silwan)地区まで続く2000年前の排水溝の発掘作業の最中に発見された。(c)AFP