【7月15日 AFP】中国で繰り返されてきた内乱や外部からの侵攻の原因は封建主義や階級闘争や劣悪な施政ではなく、気候の寒冷化とそれに伴う食糧難だった――。中国科学院(Chinese Academy of Sciences)の張知彬(Zhibin Zhang)氏率いる中国と欧州の研究者のチームが14日、このような大胆な研究結果を英学術専門誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」に発表した。

 研究チームは膨大な史料から過去1900年間の紛争、コメ価格の高騰、作物を食い荒らすイナゴの異常発生、干ばつや洪水の頻度を調査した。紛争については内乱と外国との戦争を区別した。これと平行して、この期間の気候パターンを再構築して、歴史上の事件と照合した。

 中国歴代王朝の盛衰と、干ばつや洪水、イナゴの異常発生といった天災との関係を指摘する説は以前からあったが、これほど長期間の社会・政治・経済の出来事と気象データを体系的に比較した研究はこれが初めてだという。

■寒冷化と王朝崩壊に関連

 その結果、農業を基盤としていた後漢(25~220)や唐(618~907)、北宋(960~1127)、南宋(1127~1279)、そして明(1368~1644)の王朝の崩壊はすべて、低気温もしくは急激な気温低下と密接に関係があると結論づけた。

 気温の低下は中国の王朝を食糧不足で弱体化させた。年間平均気温が2度下がるとステップ地帯の草原に生える草の成長期間が最大で40日も短くなり、家畜の飼育に打撃を与え、北方の遊牧民族が南の中国語を話す人々が暮らす地域に侵攻するきっかけになったという。

 研究チームは、「そのときどきの技術や経済システムで気候の変化をカバーしきれなくなると、人間は移動するか飢えるかしかない」と言う。ローマ帝国やマヤ帝国が崩壊したのも気温が低い時期だったという。

■食糧価格高騰が紛争の原因に

 この研究で気温が低い期間には干ばつや洪水が多いことも分かったが、紛争や王朝崩壊に最も直接的な影響があるのはコメ価格の高騰とイナゴの大量発生だった。

 張氏らは、太陽活動や地軸の傾き、地球の自転といった自然の要因によって、気温の変動はおよそ160~320年の周期で起きていたと考えている。

 論文は「歴史学者たちは通常、王朝が変遷した理由を政権の能力や階級闘争に求めるが、文化や王朝の盛衰に影響を与える点で、気候変動は社会構造に作用する重要な要因となっている」としている。ただしこの研究は温暖化については扱っておらず、研究チームは未来の予測は控えている。(c)AFP/Marlowe Hood