【3月15日senken h】友達から友達へ、仲間から仲間へ、絆の時代に、ほっこりするこぼれ話をリレーで繋ぎます。

 「1970年大阪万博の年、僕は小学6年生だった。会場のすぐ近くに住んでいたので、半年の開催期間中に21回足を運んだ。日本がもっとも元気だった時代。未来都市の中を夢中で歩き回った。パビリオンのバッチを集めるのが流行った。本来は『バッジ』と呼ぶべきものらしいが僕らはバッチと呼んでいた。64種類集めた僕は学校で3位。1位は101種類集めた高倉という男だった。
 
 大阪万博から35年経った2005年。愛知で開催された『愛・地球博』の会場に46歳になった僕と高倉はいた。『35年ぶりのバッチ集めリベンジ対決』という企画が番組になったのだ。結果は280種類集めた僕が勝った。

 翌年高倉は肺がんで他界。見舞いに行くと『万博のバッチどないしょう?』と言うので、『心配すな!オレが将来嘉門達夫記念館作ったらそこに飾ったる!』と答えた。今は僕の家のリビングに飾られている。

 2010年上海万博。僕は日本産業館の応援団長に就任。半年の間に20日会場に行き、11ステージをこなす。ステージの合間に高倉の分もバッチ集めに奔走。最終的に650種類のバッチが集まった。

 次は2015年ミラノ万博。40年越しのバッチ集め、行かないワケにはいかない。どこまで続く?僕と高倉の夢。バッチ交換は、希少価値のあるヤツ1つと、普通のヤツ5つくらいをチェンジする事によって数を増やしてゆくのが醍醐味。それぞれの国の個性が光るバッチを交換する事で、世界中の人達と笑顔でコミュニケーションが出来る。3年後、ミラノに行くぞ!高倉!」(c)senken h

【関連情報】
特集:senken h 121
さくら咲く OFFICE 嘉門達夫 公式サイト <外部サイト>