安楽死への旅路、仏からベルギーに AFPが同行取材
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■2月1日(木) 処置当日
ブリュッセルの朝はすがすがしく、さわやかな青空が広がっていた。リディさんの病室にはカーテンが引かれている。
ベッドの両脇にはマリージョゼさんとドニさん夫婦が座っている。農業政策に対する農家の抗議活動で市内では渋滞が起きていたが、ロクト氏は時間通りにやって来た。
ロクト氏が最後にもう一度、死を希望するかどうかを尋ねた。リディさんの答えはイエスだった。
「分かりました。準備をしてきます。このまま少し待っていてください。数分で戻りますから」
ロクト氏の同僚の医師で、緩和ケア病棟の責任者が狭い研究室の中で麻酔剤の「チオペンタール」などを調合する。
注射の準備が整い、医師たちがリディさんの病室に戻ってきた。ドニさんから責任者を紹介されたリディさんが「じゃあ、彼がビッグ・ボスなんですね」と言うと、笑いが起きた。
皆がベッドの周りに集まり、最後の言葉が交わされた。ロクト氏が「リディ、さようなら」と声を掛けると、リディさんは「天国でまた会えますよね?」と問い掛け、こう続けた。
「じゃあね。バイバイ、ベルギーの皆さん。バイバイ、フランスのみんな!」
持ち主のいなくなった車いすが、リディさんの病室のドアを向いて置かれている。医師たちが病室から出てきた。
ロクト氏が自身の気持ちを語った。
「彼女は病気によって少しずつ命を奪われていたのだと思っている。私がその痛みを終わらせた。そこは、私の医師としての倫理観に沿っている」
「私が殺したとは全く思っていない。彼女の苦しみが早く終わるようにしたのだと思っている」
ロクト氏は、この後、安楽死について政府の監督委員会に提出する書類をもう一人の医師と共に仕上げると、私たちの元を去る前、ドニさんとマリージョゼさんに声を掛けた。「私たちは彼女を自由にしたのです」
安楽死から4日後。リディさんは荼毘(だび)に付され、火葬場の職員によってブリュッセル近郊の霊園に遺灰がまかれた。家族は立ち会わなかった。
ベルギーで2002年に制定された安楽死を認める法律では、患者の希望を許可するには、精神科医と医師、少なくとも2人の専門家の判断が必要とされる。
また、安楽死の申請が認められるのは「治療が不可能な末期患者」で「緩和できない耐え難い肉体的・精神的苦痛が常時」ある場合に限られている。
ベルギー政府の監督委員会によれば、2022年に同国で安楽死の処置を受けたのは2966人。うち53人はフランス在住者だった。(c)AFP/ Dimitri KORCZAK and Simon WOHLFAHRT