【5月6日 AFP】ウクライナのキーウに住むオルハ・スリシクさん(30)は誕生日を迎えた今年1月14日、東部ドネツク(Donetsk)州ソレダル(Soledar)の前線で工兵として戦闘に参加していた夫のミハイロさん(40)から連絡がなかったことから最悪の事態を恐れた始めた。

「夫なら必ず、何らかの方法で連絡して祝ってくれると思っていた。でも、ひどい悪夢を見て、胸騒ぎがした」と、黒い服に身を包んだスリシクさんは、2歳の息子を抱きながらAFPに語った。

「1月15日、夫が亡くなっていたことが分かった」

 侵攻開始から1年以上過ぎ、ロシア軍への抵抗を続ける中、ウクライナが持ちこたえている代償を思い知らされる女性が増えている。

 ロシアもウクライナも正確な死者数を公表していないが、最近流出した米国の機密文書によると、犠牲になったウクライナ兵は1万7500人に上る。

 スリシクさんは、弁護士だった夫を戦地で亡くした後、同じような立場の女性たちのためのソーシャルメディアのグループに入った。参加した当初のメンバーは300人余りだったが、今は倍増している。

 ウォロディミル・ゼレンスキー(Volodymyr Zelensky)大統領は昨年8月の追悼式典で、夫や父親を亡くした遺族に対し、決して無駄死にではないと慰め、戦死した人々は「家族の記憶の中で生き続ける」と一人一人に声を掛けた。

 ミハイロさんの戦死から数か月後、スリシクさんは夫の死が無駄ではなかったかどうかと葛藤している。

「夫は、私と(息子の)ビクトルのために(戦地に)行くと言っていた」と振り返った。ミハイロさんは、ウクライナが反撃してロシアに勝つしかないと考えていたという。

「でも、私を守りたいと言うなら、どこか他の場所ではなく、私の隣にいてほしい」と、スリシクさんは涙をこらえた。

「今はまだ、気持ちの整理がつかない」と話した。

■「苦しみが自分の一部に」

 ダリア・マズールさん(41)が2014年に夫の死を知ったのは、ロシアのメディアが血まみれの夫の遺体の写真を報じたことがきっかけだった。

 親ロシア派の進軍を受け、ウクライナ軍がイロバイスク(Ilovaisk)から撤退した同年8月、ウクライナ側の戦死者は数百人に上った。マズールさんの夫もその一人だった。

 30歳で戦死した夫パブロさんと最後の会話を交わした時は、嫌な予感がした。危険な状況にあるのを知っていたパブロさんは、「僕に何があっても、幸せになると約束してほしい」と言ったのだった。

「時は癒やしてくれない。慣れるしかない。受け入れ、苦しみとともに生きる。そうすれば、その苦しみが自分の一部になってくる」。マズールさんは、キーウの自宅のキッチンで、子どもを抱いてほほ笑む夫の写真の隣でそう語った。(c)AFP/Jonathan BROWN and Elizabeth STRIY in Warsaw