【10月28日 AFP】「遺体を収容してきたんだ。放っておいてやれ」。遺体を搬送していることを示す「貨物200便」と記されたトラックを調べるために近寄ったウクライナ兵に対し、別の兵士が大声で怒鳴った。

 貨物200便は、戦死した兵士を表す軍の簡略表現だ。200は、遺体を入れた亜鉛製のひつぎの一般的な重さをキログラムで示したものとされる。

 戦争によって荒廃したスビアトヒルスク(Sviatoguirsk)の検問所での光景は、ウクライナ軍による電光石火の反転攻勢により奪還された東部前線にある他の複数の町でも見られている。

 貨物200便は、1980年代のソ連によるアフガニスタン侵攻にさかのぼる。ウクライナでは、第2次世界大戦(World War II)後最悪の戦争といわれる8か月の戦闘で命を落とした数千人の戦死者を示す用語として、ロシアとウクライナの双方が使用している。

 1週間余りのうちに、アンドリー・チェルニヤフスキー氏とウクライナ軍の専門チームは、ある軍管区から兵士19人の遺体を収容した。

■地図に黄色い印

 チェルニヤフスキー氏の過酷な任務は、退却したウクライナ兵が仲間を失ったり、埋葬したりしたと報告した場所を示す黄色い印が付けられた地図が頼りだ。

 同氏が率いる車列は、オレクサンドリウカ(Oleksandrivka)という村にひっそりと立つ一軒家の前で突然止まった。

 家の中のごみや弾薬は、ロシア軍が4月に同地を占拠するまでウクライナ軍が拠点として使っていたことを示していた。

 チェルニヤフスキー氏は「81旅団の一部や国境警備隊が陣地として使っていたこの家から退却したという通知を受けた」と述べた。

 攻撃にさらされながら撤退を強いられたウクライナ軍が置き去りにせざるを得なかった兵士の遺体の捜索には、遺体の所在を臭気で捜し出すために特別に訓練された犬が活躍する。

 貨物200便のチームに同行するNGOアンタレス(Antares)のラリサ・ボリセンコ氏は「われわれの犬は基本的な捜索や救助活動とは異なった訓練を受けている」と説明した。

「教授」と名付けられた若いベルジアンシェパードは数分間、周辺を嗅ぎ回った後、木の下を前足で一心不乱に掘り始めた。

 兵士2人も急いでシャベルを手に取った。チェルニヤフスキー氏はすでに白色の防護服を着用していた。

 遺体は1.5メートル掘り進めたところで発見され、青色のシートに包まれた。チェルニヤフスキー氏は「われわれは幸運だった。遺体の保存状態は悪くなかった」と話した。